地元のおいしいお店でこまめにテイクアウトしている。
どの店も、すばらしい技術を持った人たちが丁寧に、そしてコツコツと積み上げてきたものを、お手ごろな値段で提供してくれる。そういうところを自分が支援するとかなんかもう、おこがましくて、それがまずつらい。
私は人に同情されたくないし、同情もしたくない。だけど、やっぱり憐れむような気持ちが自分の中に入り込んでしまう。早く健全な消費行動を交わせるようになりたいけれど、いつになるのだろう。
事業主のような家賃の苦労はないけれど、私のお財布だって安泰ではない。
コンビニよりはずっと豪華で、だけどお店で食べるよりはこじんまりしたテイクアウトのごはんを見ていると、目の前のことが夢の中の出来事のように思える。
自分はいつまでこうした豊かさを味わえるのだろうか。こうした時間がいつかすべて夢になるのではないだろうか。おいしいご飯を前にして、貧しくなった未来の予行練習をしているような気持ちになる。未来の自分が、今の自分の食卓をぼんやりとしたフィルターの向こうでうらやんでいるような、そんな倒錯した気持ちになるのだった。