ねこぢる作品は人生ベスト10に入るくらい大切なマンガだ。淡々とした暴力と理不尽が続く世界の中で、かわいい猫の姉妹が何事もなく生活している超越的な作風は、「世界はあらかじめ狂っている」という悟りを与えてくれた。
ひたすら息苦しくて出口のない気分で生きていた高校生の頃、初めて「ぢるぢる旅行記」を読んだ時の安堵感と解放感は忘れられない。
しかし、その時はもうねこぢるは自殺によってこの世を去っていた。
ねこぢるの死後、夫の山野一さんはねこぢるy名義でねこぢるのキャラクターを使ったマンガを描き続けていた。当時の私は、ねこぢる本人の描線より太い線で描かれた虚無的な表情のキャラクターも、重苦しい色調かつ、メタリックな質感すらあるデジタルな色彩も好きになれなかったし、そうやって作品を描き続ける山野さんの気持ちもよくわからなかった。
それから20年近く経ち、意外なことに山野さんと直接お話しする機会に恵まれた。「ねこぢる生誕50周年記念 ねこぢる&ねこぢるy展」の場だ。
山野さんが再婚し、お子さんのことをマンガに描いていることなどは把握していたが、いまだに「ねこぢるy」として活動しているのは知らなかった。
個展の会場は銀座のぎんけいさろん&ギャラリー。銀座の通りから少し歩いた小さなビルの中にあった。
小さくて少し暗いスペースで、ギャラリーとあるけれど、最初からそれを目的に作られたというより、空いた部屋を借りて、照明などを追加してギャラリーにしたのではないかと思う。
中に入るとねこぢるマンガ原画とイラスト原画、そして、ねこぢるyの原画が貼られていた。そのほかにも、ねこぢるが趣味で制作していたというろうけつ染めの布や、4歳児くらいの背丈のにゃー子とにゃっ太のフィギュアも置かれていた。
私の訪れた時間帯には山野さんが在廊されており、展覧会用のハガキの裏に一枚一枚画を描いていた。
原画はねこぢるのマンガ原画、イラスト、フィギュアや布、ねこぢるyの原画イラストという順に並べられていた。
大切なマンガとは思っていたけど、ねこぢる作品を読むのは久々だった。展示されていた「大魔導師の巻」という短編は、サーカスに遊びに行ったにゃー子が、そこで怪しい魔術を使う老人に接触し、虚無の中に取り残されてしまうという話だ。
サーカスでの演目の場面で、切り落とされた女の首が宙を舞う描写がある。笑いながら中空を飛び回る首をアップにする映画的でこなれたコマ割りに、「ねこぢる」の実態がユニットであることを改めて実感した。
マンガ家・山野一による作画・マネジメントの両面でサポートを受けながら、ねこぢるがその感性を紙の上に描いていたのが「ねこぢる作品」なのだ。
原画を順ぐりに見回し、ねこぢる自らが染めたという布の前に立つと、それまで中央の椅子でずっと絵葉書に絵を描き続けていた山野さんが立ち上がり、「これはねこぢるが染めたものなんですよ」という解説をはじめてくれた。
何を話せばいいのかわからなくて一瞬戸惑ったし、何を話したのか残念ながらほとんど忘れてしまったのだけど、その穏やかで丁寧な語り方に安心させられて、思わず「ねこぢるを読んだのは高校生くらいだったんですけど、読んで『救われた』と思ったんです」と口にした。
山野さんは少しだけ不思議そうな目で「どうしてかわからないけど、そうおっしゃる方が多いんですよね」と返事をしてくれた。
オブジェの展示に続くねこぢるyの画は、とても穏やかな色彩で、にゃー子とにゃっ太の目つきからもあの不穏さは消えていた。でも、死ととても近い世界にいたねこぢるのキャラクターは、そのノスタルジックな色彩の世界でとてもくつろいでいるように見えた。自死によってこの世を去ったつれあいに対する慈しみがにじんでいる。そんな画が描けるまで、どのくらいの時間や出来事が必要だったのだろうか。
物販を購入して直筆イラストの描かれた絵葉書をいただくと、丁寧に署名を入れてくださった。お礼を言う自分の話し方が、子供の頃に戻っているのがわかった。