ホンのつまみぐい

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「夫のちんぽが入らない」こだま

著者の体験をもとにした、不思議な私小説だ。

主人公は封建的な地方から大学進学のために上京し、そこで後の夫と出会う。互いに教職の道を選び、まるで兄妹のようと形容される仲の良いふたりだが、夫の陰茎を挿入すると膣が裂けてしまうため、セックスができない。

交われないことにストレスとプレッシャーを抱えながら二人は生活を続けていく。そして、彼らの生活にはお互いの体の問題だけでなく、小学校教員としてのストレス、不妊に対する親族や周囲からのプレッシャーなどさまざまな問題が降りかかってくる。

学級崩壊を目の当たりにし、セックスできない申し訳なさから夫にも頼れなくなった主人公は、ネットの掲示板で出会った人々とセックスを続ける。サイズの問題か、ほかの人のは入るという事実が彼女を二重に追い詰める。目の前の仕事の苛烈さも含め、精神的にも肉体的にも追い詰められていく。

つらい出来事が延々とつづられる本作だが、その描写にはどこか達観したような開け放した感じがある。

たとえば、ネットの掲示板で出会った男が職場である小学校を訪ねてくる場面はこんな様子だ。

「僕、遠くに転勤することになっちゃったの。その前に君にもう一度会いたくなっちゃって。でも会ってくれないのはわかっているから、来ちゃった」
 これでは「おじさん」が純粋な少女で、私が悪い男みたいだ。

話はとても重いのだけど、自身のこっけいさを湿度の低い文体で描いているので、不思議と読みやすいし、安い同情を誘わない。

物語は最終的に、夫の風俗通いを受け入れ、不妊を親族に認めさせ、病気による自身の身体の変化も含め「普通」とは違った二人の生活を肯定して終わる。夫婦の闘いの記録だ。

ただ、私が読み終えて気にかかったのは、夫婦のあり方の部分ではなく、学校についての描写だ。

夫婦・親族など「家族」にからむ箇所では、必死で自分らしいあり方を探る主人公が、学校にかかわる場面では、健全な「よき教職者」であろうとする。

もっとも不思議だったのは、新興宗教に入信している親を持ち、学級崩壊の一因となった少女が、中学生になって彼女を頼って自宅を訪ねてくる箇所だ。引きこもり状態だった主人公は、彼女を車で目的の場所に送り届けてあげて、こんな自分もかつての生徒の役に立つことができたと安堵する。実話だとしても創作だとしてもすっきりしない。主人公の教員としての自我が、一人の生徒の人生に依存しているからだ。

また、「普通の家族」を押し付ける社会についての長い格闘の物語と並行して読むと、全体的に「聖職の滅私奉公」を教員に押し付ける社会に対する違和があまりに希薄で、少し拍子抜けしてしまうのだ。自分の家族のことではないから、細かに書き込めなかっただけなのだろうか。あるいは、いまだに整理のついていない存在なのだろうか。

「反省しろ」あるいは「告発しろ」と言いたいのではないけれど、かつての小学校教員を母に持つ身として、その存在への思索が深まらないまま苦い場所としてあり続ける学校の姿は、寂しい気分になる部分だった。

とはいえ、繊細な問題を限りなく開かれた形で物語った作品であることは間違いない。何より、タイトルが素晴らしい。絶賛と並行し、無遠慮な酷評の並ぶAmazonレビューを見る余計にそう思う。この本はびっくりするほど遠くまで届いているのだ。

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

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