観終わった後に、涙目の友人が「みんなひとりぼっちだった……。すごい孤独だった……」とうめいていた。
私は涙は流さなかったけど、泣いた友人の気持ちはわかった。これは心がぐちゃぐちゃに散らかる。
「ヤクザの日常を撮影する」という挑戦的な映画「ヤクザと憲法」。
そこに映し出された日常は、あまりに「お隣の地獄」だった。
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冒頭に「取材謝礼金を払わない、収録テープを事前に見せない、映像にモザイクは原則かけない」という取材時の取り決めが流され、カメラは古いビルの2階の組事務所を映し出す。取材対象は大阪の東組清勇会。小さな事務所は地域の集会所のようで、分厚い防弾扉や虎や龍を彫り込んだ巨大な彫刻、任侠道と彫り込まれた木の置物といった暴力団的なアイテムがむしろ大仰なもののように見えた。
暴対法の成立以降、ヤクザの生活も厳しいらしく、事務所は停滞した雰囲気に満ちている。構成員も高齢化していて、若者は部屋住みの21歳の青年くらい。タバコを吸いながら新聞を読むおっさんたちの姿は、どこか文化部の部室のようなゆるさを感じさせる。
カメラを向ける東海テレビの取材班の人々は、ヤクザに遠慮がない。
キャンプ用のテントを入れた袋を指差し、「拳銃とかじゃないんですか」という。ヤクザは「えっ、そんなもの。あったら法律違反じゃないですか。ハハ」と答える。ヤクザのおっさんの風情がそのへんの中小企業のおっさんなので、むしろ東海テレビの方がヤクザにジャブを当てにいっているように見える。
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事務所には松山くんという部屋住みの青年がいる。21歳。朴訥な見た目のトロい男の子だ。
とてもヤクザには見えない松山くんを、視聴者に最初に印象づけるのは夕刊の話だ。いつも小洒落た帽子を被っているおじいさんヤクザが、彼に「夕刊はどうした」と聞く。「エー、朝刊は、取り込んで保管しておけと言われたので!」「いや、夕刊どうした」「朝刊は、しまっておきました!ゆ、夕刊は!」と、会話の要領を得ない。彼は「朝刊はとっておけと言われたのでとっておいたが、夕刊については何も言われていないので捨ててしまった」ということが言いたいらしい。それなら「夕刊は捨ててしまいました。ごめんなさい」と最初に言えばいいのだけど、それが出来ずに「朝刊はとっておけと言われたのでとっておきました」から話始めてしまう。相手は「いや、夕刊はどうした」と聞くので、話が朝刊のことに巻き戻ってしまう。
私は松山くんの気持ちがわかるような気がする。だから、よけい空気を読むことが重要そうなヤクザの世界でやっていけるのかと心配になってしまう。帽子のおじいさんは、そんな松山くんの話を辛抱強く聞いている。
取材班が彼に極道に入った理由を聞く。宮崎学の本に影響されたという。
「嫌な奴がおって、相手も嫌だと思ってて、お互い嫌だけど排除されずそこにいる。それが良い社会やないですか?」
映画にはヤクザたちが選挙に行く場面も出てくる。選挙の日に新聞を開く帽子のおじいさんに、取材班が「行かないんですか?」と聞くと、「選挙権がない」と言う。「なんで」と聞くと「国籍がね」「帰化してれば別やけど」と答える。
帽子のおじいさんは、松山くんを「息子みたいなもん」といい、入所の理由としてそれとなく「いじめられてたみたいやな」と取材班に伝える。
映画の中には松山くんと帽子のおじいさんとの年越しの場面がある。ふたりで大型テレビの前で本当にささやかな年越しのつまみをつつき、日本酒を呑むのだ。おじいさんを信頼している松山くんの嬉しそうな顔はとても人間的で、きっと今までいた学校などより「健康で文化的な最低限度の生活」に近いのだろうなと思ってしまう。
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組事務所の日常は一貫してほぼおっさんしかいない、ぱっとしない中小企業の日常という感じなのだが、時折こちらにヤクザらしさを突きつける瞬間が訪れる。
もっともインパクトがあったのは、松山くんが恰幅のよい若頭に殴られる場面だ。何がきっかけかはよくわからないのだが、イライラした若頭は、ソファーの並んだ部屋に松山くんを突き飛ばし、扉を閉める。
扉の向こうでビシッ!バシィッ!というアニメや特撮で聞きなれた音が鳴る。人を殴ると本当にああいう音がするのか。カメラはただただ扉を映す。
ヤ、ヤクザ、怖い! やっぱ怖い!
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ひょうひょうとしたたたずまいの山之内氏は、登場の場面で電話に出ている。相手は知り合いのヤクザのよう。「今何してんの?おお?ヤクザ辞めて食っていけるの?ははは」。ヤクザ映画の原作も手がけ、取材班に「ヒットマンて言葉を広めたのはぼくなんですよ」と言う。
映画には山之内氏の古い友人らしき弁護士も登場する。
彼はヤクザの弁護を引き受ける山之内氏に苦笑する一方で、あまりに厳しいヤクザに対する締め付けに対し「ヤクザだからといって人権を無視していいのか」と問う。
この問いは、弁護士だけでなく、当のヤクザからも発せられる。
発話者は川口和秀会長だ。映画の前半、16歳で初めて拳銃を打った時のことを話しながら新世界を歩いてくれるナイスルッキングガイ。いかにも切れ者という精悍な風貌で、新世界の呑み屋のオバちゃんにも人気だ。「警察なんてなんも守ってくれへんもん!」と言って会長のことをもてなすオバちゃんの好意に、少し照れたように笑う。
会長は映画内で、自身に寄せられたヤクザからの訴えをカメラに見せる。「銀行口座が作れないので、子どもの給食費が払えない」「幼稚園や保育園に入園拒否される」などなど……。ヤクザの窮状の言葉を拾い集め、人権について真剣に考える川口会長だからこそ、何のプラスにもならないこの取材を引きうけたのだろう。(監督とディレクターのトークイベントによると、会長自身が東海テレビ制作の「死刑弁護人」を見ていたことが取材を受ける決め手のひとつとなったらしい)
映画の最後に、「(人権がないと感じるのなら)ヤクザをやめればいいじゃないですか」という取材班の問いに対し、「誰が受け入れてくれる?」と鋭い目つきで答える。
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「ヤクザに人権はないのか」という問いによどみなく「犯罪者に人権などない」と答える人の数は少なくないだろう。
でも、画面の中のヤクザがあまりに普通で、にも関わらず一歩踏み外してしまった人たちなので、「あっ、ひょっとしたらいつかのどこかで誰か(それは私かもしれない)が声をかけてあげたら、ヤクザにならずにすんだかもしれない」と思わせる。20代のころはカタギの仕事についていて、子どもと奥さんとの写真を大切に持っている元ペンキ屋の河野さんが「困ったときに助けてくれたのはここだけだった」と話している姿が重い。
みんな寄る辺ないという言葉が似合いすぎる人たちで、友人が号泣したのもその寂しさをストレートに感じ取ってしまったからだろう。
「えっ、ヤクザって人間じゃないと思ってたのに、人間だったじゃん。もし犯罪者は人間じゃないなら誰が人間じゃないものにしてしまったの?」
映画の編集は、この問いに答えを出さない。そして、映画を見る限りヤクザの未来は明らかに暗い。
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映画には映されていないが、その後松山くんは組を辞め(あるいは追い出されたのか)、コンビニ強盗をしでかしてしまう。カタギの時の家族写真を見せてくれた元ペンキ屋の河野さんは覚醒剤所持で捕まる。
山之内弁護士はヤクザに手を貸したかどで、罰金で済むような小さな事件で起訴され、有罪判決によって弁護士資格を剥奪されてしまう。
ヤクザの道は地獄だけれど、その先の道もない。
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ただ、映画そのものにヤクザの擁護者たらんとする気負いはない。ドキュメンタリー映画にありがちな文学的誇張もなく、ある種下世話なテレビ的な好奇心によってヤクザのいる日々が描かれ、それがこのドキュメンタリーを見易いものにしている。事件記者として愛知県警に詰め、ヤクザには人権すらないと感じた監督の経験が、本作の制作の動機になっているそうだが、そうしたある種の政治的正しさのみに突き動かされたというより、「見えないものを見たい。そして、見せたい」という欲求を強く感じさせる。
好奇心という言葉は、山之内弁護士が山口組の弁護を引きうけた際にも語られる言葉だ。幼い頃に家庭で苦しい思いをしてきた彼には、社会から堕ちた人間の苦しみとそこから這い上がろうとするエネルギーに惹かれるものがあったという。弁護士としての権利を脅かされ、家族との仲がうまくいかなくなっても弁護を続ける山之内氏の姿を見ていると、彼にはヤクザの世界に何か親しさを感じてしまう部分があるのではと感じてしまう。
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好奇心とは少し違うが、映画を観て思い出したのが、障害者施設の運営者によるセミナーでの質疑応答だった。障害者の中には反社会的勢力に取り込まれてしまう人たちが少なくない。(このあたりはぜひ、山田譲司の「累犯障害者」を読んでほしい)そういった組織に入ってしまった人を、どうやって抜けさせるか。
質疑では、重度の精神障害者の支援施設で働いている方に質問が飛んだ。精神障害にもいろいろグラデーションがあるのだろうが、その方の話はなかなかヘビーで、「身の回りにあるものすべてを箱に入れてしまう人がいる。その人はどうも箱にものを入れることで精神を安定させているようなので、最初から箱に入れていいものを用意してまわりに置いている」という話はなんだか禅問答のようだった。
淡々と施設の現状を話す、まるで僧のような風情の中年男性のその答えは「いやあ……『すみませんが、返してください』と話しますね……」というものだった。
おそらく質問した人は、ヤクザの事務所に行ってガチンコでお願いするなんて方法を期待してはいなかっただろう。とまどいを顔に浮かべていた。
支援を受ける側は社会という狭い円から追い出されているが、支援する方もそういった枠組みをどこか逸脱している。
カメラを掲げた土方宏史監督も、わかりやすいエリートではないのだろう。パンフレットには、阿武野勝彦プロデューサーが、彼と初めて会ったときのことを書いている。「ぼくは発達障害なんです。診断も受けています」「阿武野さんもそうだと思います!!」といきなり話し出したという行動を読むに付け、「ヤクザと憲法」は撮る前から監督にとってなにがしかの当事者性のある題材だったのではないかという気がする。ちょっとおかしい人がちょっとおかしい人を撮る、ある種の誠実さ。それは、単に同情したとかいうことではなく、カメラを向ける対象により興味を持ってしまう、そちらに近づくことの方がその人にとって自然であるというようなことだ。
…………それはさておいて、
映画鑑賞後、人権に関する長い語らいのほか、友人ともうひとつ盛り上がったのは川口会長のイケメンっぷりだった。
「会長61歳であのファッションセンスすごくない?」「ダウンジャケットいくつ持ってるの?」「新世界であったら握手してっていっちゃうかも!」「あれは子分もこの人のためなら死ねるって思っちゃうね!」
うう……。知恵者で意気地もあってビジュアルはまるで映画から抜け出たような会長……。すまん、正直素敵だった……。その後ググったところによると、拘留中の会長を待つ間に、会長の顔をTシャツに印刷して着ていた子分もいるとか。アイドルかよ……。下世話な話だが、会長の顔見るだけでも1800円損しないぞ。
あ、そうそうリンク先の記事も厳選して貼ったから、読んで損はないぞ!
追記:ブックマークコメントに「ヤクザに同情とか馬鹿じゃねえの」「覚醒剤で日銭稼いでる奴らに同情とか」みたいなコメントがついてました。わかっとるがな!めっちゃぐぐったわ!うーん伝わるように書けていなかったかあと思ったので、阿武野プロデューサーのインタビューを引用。
川口会長は言いました。「ヤクザ認めんて言うことやろ、暴力団や言うて。本当に認めんねやったら全部なくしたらええ。選挙権もみんな剥奪したらええ。まともな仕事までしたらあかんちゅうねん。生業も持つなて言うてんねん。(ヤクザをやめたら)どこで受け入れてくれる?」と。足を洗っても受け皿のないまま暴排条例の規制対象となる3年から5年のあいだ、どうやって生きていくのか。どうにもならない現実がある。ヤクザをなくしていくためのプロセスは間違ったんじゃないかなと思います。人づてに聞いたんですが、民事介入暴力担当の弁護士さんたちが集まる飲み会があって、放送直後だったこともあり、『ヤクザと憲法』が話題の中心だったそうです。これまで暴力団を追いつめてきたけど、やり方が違ったかもしれないという意見もあったと聞きました。そういう見方をしてくれたんだと、少し嬉しくなりました。けっしてヤクザを肯定するためにつくった番組ではないんですが。
でも、なくしてしまえと考えていないのはあきらかじゃないですか。
ヤクザがいない社会のほうがいいけど、現実にはいる。いなくする方法は、もう少し知恵を出さないといけないんじゃないの? というスタンスです。どういう時代でもドロップアウトする人間はいるので、 それこそ“半グレ”になって地下に潜らせるよりも、きちんと社会に収容していく方法を編み出さないといけない。一方的にこの人たちを叩くというやり方だと、社会は上手にまわっていかないんじゃないかという気がします。いまのままでいいとは思っていません。
いうまでもなく、私もこのスタンスです。ただ、まあこういうのって
組員の河野さんは典型的なヤクザに見えますけど、出会う人がひとり違っていたらヤクザになってなかったかもしれない。「(困ったときに)誰も助けてくれないじゃないですか。誰か助けてくれます?」と河野さんは言いました。河野さんはそうだったかもしれないけど、僕にはたまたま助けてくれる人がいた。河野さんは誰も助けてくれなくて自暴自棄になったと話されますけど、僕も自分がヤクザに落ちることもなかったとは言いきれないなと思いました。ちょっとしたことで人生は変わっていくものです。誰だって安全圏にいるとはかぎらないですよね。
っていう感性がないとなかなか伝わらないのかもしれませんね。観にいってくれた友人に感謝です。しかしVICEのインタビューは踏み込み方がうまくてすごい……!
二代目清勇会について語ろう - 1235975785 - 質問掲示板
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/4649/1420857036/
川口会長が発行していた通信誌
※何らかの障害を抱えることにより社会の枠組みから外れてしまい、犯罪を繰り返してしまう「累犯障害者」について書いた全8章からなるノンフィクション。
ソフト化は断っていると阿武野プロデューサーがツイートしていましたが、書籍は出たようです。
キャッツアイ事件の詳細が描かれた「冤罪・キャッツアイ事件」の文庫化。
弁護士の山之内さんの最新著書。
ディレクターの阿武野勝彦の著書。『さよならテレビ』はあまり評判がよくなかった印象ですが……。