ホンのつまみぐい

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「ソーネチカ」リュドミラ・ウリツカヤ

 ソーネチカみたいな判断は絶対出来ないな。憧れもしない。でも、すごいとは思う。

 「ソーネチカ」はソビエト体制下のロシアに生まれた女性の一代記だ。見た目には自信がないけれど、本が大好きな彼女は学校を出てからも家族のもとで幸福に暮らしていた。しかし、ある日勤め先の図書館に来た画家で、反体制派のロヴェルト・ヴィクトロヴィチと出会い、二週間後に電撃結婚。それからは、ユダヤ人として、生活者として、家族を守りながら第二次大戦下で毎日を慌ただしく過ごしていく。しかし、そんな彼女の日常に大きな裏切りが訪れる……。

 
雑貨として売られていてもおかしくない可愛らしい装画に、多くの読者はささやかな幸せを生きる女性を想像するだろう。そして、本の中に新しい友人が出来ることを期待しながら読み進めるに違いない。しかし、そんな期待に対し、「ソーネチカ」の世界は容赦ない。
 
ロベルトはソーネチカが愛しているロシア文学を説教くさくて辛気くさいと思っていて、彼女によく分からない難しい言葉で手厳しく冷たく反論する。ロベルトは反体制派なので、伝統を妄信する若い女の子に対する批判的な気持ちがあるのだろう。とはいえ、読書の楽しみの共有を期待して読んでいた読者からすると、苦い気持ちにある話ではある。若い頃に、インテリに自分の読書経験を貶められるという体験は、それなりの「本好きあるある」エピソードだからだ。この本には、この手の卑近なエピソードが多い。
 
彼女に訪れた大きな裏切りも、とても昼ドラ的で下世話なものだ。きっと、読んだ人の多くは裏切った相手に対し、「こんな人間には罰を与えて当然だ」と思うだろう。
 
しかし、ソーネチカは悲しみはするものの、恨まないし、罰さない。淡々と生活を続けるさまは、むしろ読者をギョッとさせる。
 
ある感想には「ソーネチカの慈悲を見習いたい」とあり、またある感想には「彼女は本だけを愛していて、家族には興味がなかっただけだろう」とある。私はそのいずれでもなく、多くの人が指摘するように、彼女は「そういう人」なのだと思った。
 
おそらく作者は敬虔な信徒や無垢な聖人ではなく、ただ「そういう生き方をする人」を書いたのだ。そして、その生き方に正しさや理想の裁定は必要ないのだろう。それはきっとロシアという国の中では、日本とはまた違った意味を持つに違いない。
 
英雄的行為を特権化しないことで、人間そのものを肯定するという遠回りな人間讃歌として読んだ。
 
翻訳の相性もあり、読み進めるのがつらい部分もあったが、ソーネチカの娘・ターニャと、彼女の友人のヤーシャの関係を表した部分は、暖かみがあってとても心に残った。
 
ターニャはクラスの人気者で男の子にも人気があったが、才気煥発でまだまだ若い男の子たちはターニャを尊重できない。しかし、ヤーシャはターニャに自分を押しつけない。
 
ヤーシャだけは、ターニャに主体的にものを考えさせたり、思ったことを口に出して言わせたり、こまごましたことを手探りで選ばせたりすることができたわけで、人間というのは、そうした細かいことをもとにして、自由に人生最初の下絵を描くものであり、その後の生の模様はどれも、その下絵にそって展開していくものなのである。

 

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)