- 作者: 米原康正,女性自身編集部
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/11/12
- メディア: 雑誌
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「パブリックな場で必要最低限馬鹿にされない程度の格好はしよう」と考えてはきたものの、めかすことに対してほぼ無関心で生きてきたので、『原宿女子』に登場する女の子達の「一点ものであろうとする意志」に気圧される。
『原宿女子』というタイトルだけど、必ずしも原宿にまつわるもののみを扱うわけではないこの雑誌は、かつて雑誌『egg』の編集長を務めた米原康正さんのプロデュースによって誕生した。
第1号の創刊にあたり、米原さんはこう話している。
雑誌で紹介した渋谷に集まる女子たちは、後にコギャルと呼ばれ一世を風靡した。「何が受けたのか?」という質問に僕はこう答える。「初期の彼女たちは男子受けを必要としなかった」。当時も今も男子を中心とした世の中は、女子がまだ物心つかない頃から「男子受け」という洗脳教育を始める。「モテるためにはモテるための消費が必要。そしてそれは男が決定するのだ」。
『原宿女子 〜原J〜』をプロデュースした米原康正が語る原宿のいま(http://numero.jp/culture-20121214-tokyogirls/2/)
男性に消費されるためではなく、同性とのコミュニケーションや自己表現のための文化として生まれたコギャル文化が、後の男性受けのための文化にすり替えられてしまったことに米原さんは怒る。
そして、「青文字系は同性受け女子カルチャーの新しい砦」と語る。青文字形を説明するのはちょっと難しいけれど、ちょっと前の蒼井優、今ならこの雑誌の表紙になっているきゃりーぱみゅぱみゅのような存在をアイコンとしがちな雑誌と考えていい。
そんな『原宿女子』のキャッチコピーは「着たいものを着る、やりたいことをやる」。
ちょうど雨宮まみさんのブログでファッションに関する文章を読んだところで、ファッションに無関心でいることで人生を貧しくしているのではないかと思っていたところだったので余計に印象的だった。
雨宮さんは自身が幼少期に容姿を家族から否定されたことに絡め、おしゃれを楽しむことは自分自身を再発見することだと説いていた。
お洒落をすること、服を着ることは、一般的な美の概念に自分をすりあわせていくことではない。自分の美しさを発見し、発明し、創造することだ。だからとても苦しいし難しいし、楽しいことだ。誰かのようにキレイになんてならなくていい。自分の美しさというのは、ときには乱雑さであり、ときには重苦しさであり、ときには性別と反対の男っぽさ、女っぽさですらあり得る。着ることは生きている時間そのものを塗り替えてくれる。
着る快感(http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20080224)
『原宿女子』に登場する女の子たちはみな、そういう意味でみんな「自分自身の美に対する探求者」側なのだろう。男受け、モテなどの女性誌でおなじみの単語はまったく出てこない。
ロリータを「武装」、原宿を「オシャレの戦場」と表現する上坂すみれのアグレッシブさは、彼女たちにとって服装が自己表現そのものだということを明確に表している。
そんな女子たちに敬意を示しつつ、そもそも自己主張から開放されたい気持ちもある私は、「狭いエリアに、自意識も美意識も高い人たちが密集してて、ある意味陸の孤島みたいになってるじゃん。それが怖いんだよ。閉鎖的で」と裏原を表現した少年アヤちゃんの言葉に共感。
原宿が戦場ならばおしゃれを忘れた女が原宿を歩くのは戦場を丸裸で歩くようなものだろう。
武装の必要のない街で、きばらない程度のめかしを今後もたしなんでいこうと改めて思った。
前置きが長くなりすぎたけど、本の購入の動機は「でんぱ組.inc」と「BiS」が登場するから。たしかにこのコンセプトなら、アイドルとしてはNGと言われかねないくらい、自分自身の言葉で感情を表現するこの2組だろう。
ほかにアイドルもしくはアイドル的な存在として、バンドじゃないもん!、きゃりーぱみゅぱみゅ、島崎遙香、ハナエが登場していて納得の人選。
こういう本を当事者として楽しめる年齢ではないのだけど、面白かった。
*ドルオタとしては古川未鈴の「誰かが結婚しても続けられるグループになれたら勝ちだな、って思う」という言葉と、そこに添えられた写真の子どもっぽい表情と、ファーストサマーウイカがカミヤサキの肩を抱いて寄りそっている写真がツボでした。みりんちゃんの写真もっと大きいのがほしかった……。
ショップスタッフの写真の中に、わざとか思うくらいNegiccoのKaedeちゃんにそっくりの女の子がいたのがなんだか非常に気になりました。