湯前まで行けば川崎のぼるに会えるという情報が飛び込んできたのは、たしか5月頃だったと思う。
ふと「巨人の星」でツイッター検索したところ、「湯前まんが美術館」の中の人による個展の情報がひっかかったのだ。原画展は6月30日から8月31日まで。8月5日にサイン会&トークショーが開催。
湯前? どこ? 調べてみると宮崎と熊本の県境。しかも新幹線で横浜から9時間かかる。一瞬迷ったが、ご高齢で滅多に関東に来られない先生にお会いする最後の機会かもしれないと参加を決意した。
7月に同じく巨人の星好きの女性のYさんから同行の申し出があり、とりあえず湯前から電車で50分ほどの温泉街、人吉に宿を取る。
東京駅で8時前にYさんと合流し、経由ルートは博多、熊本、八代、人吉。お盆前なのでどの路線も空いていた。八代から人吉間を走る九州横断特急は鉄ちゃんなら喜びそうな赤い車体が魅力的な、風情のある電車だった。
人吉には16時頃に着いた。1泊5500円という安さ優先で頼んだビジネスホテルは、受付のおばちゃんしか従業員がいなさそう。25年は何も変化なしだろうなあという感じの、昔ながらのホテルだ。
部屋に着いて窓の外を流れる球磨川を見ながらぼんやりしていると、おばちゃんが「女性の方にだけ」と言ってフルーツ缶詰をくれた。今まで政令指定都市のビジネスホテルにしか泊まったことがなかったが、えらく顔の見える運営に「昭和だなあ」という感慨をいだく。
夕食はつかないので、おばちゃんに聞いてYさんとうなぎを食べに出た。17時だというのにえらく陽が高い。緯度の違う土地にいることを実感させられる。
人吉はきれいに清掃された静かな町で、あまりチェーン店が見あたらない。宿のそばにある「喫茶」と彫られた擦りガラスを見ながら、そうか、つい20年くらい前までは町ってこういう感じだったなと思った。
町中には夏目友人帳のアニメ版イラストの「人吉花火大会」のポスターがたくさん貼られている。
おばちゃんのおすすめで上村うなぎに入る。とても風情のあるお店だった。京都ではないけど、町屋造りと呼んでいいのだろうか。値段もうな丼肝吸いつきで1600円と手ごろだ。店内には従業員の方の寄贈と思われる週刊百科や絵本、西岸良平のマンガなどがひまつぶし用に置いてある。ひっきりなしに訪れるお客さんの様子から、地元の人にも愛されているのが感じられた。
うなぎ屋を出てななめ向かいにも、日本家屋があった。何となくカメラを向けると、ぞろぞろと中から出てくる人たちがいる。
話を聞くと、焼酎倉だという。後で調べて知ったが、この倉は銀の露という焼酎で有名な、渕田酒蔵場だった。見学時間は終了しているとのことだが、社長さんのご厚意で中を案内していただいた。
九州で焼酎が盛んなのは、日本酒は一定期間15度を保つように温度管理しなくてはならず、それを超えると焼酎になってしまうからだという話を聞く。
社長さんはそれまでまったく別の某メーカーで働いていたそうだ。阪神淡路大震災は神戸で。東日本大震災は東京で経験したという。
「ドンッって突き上げるような地震立ったんですよ。ぼくのいた部屋はなにも落ちなかったんだけど、二階の同僚の部屋はだいぶ物が落ちて…。この間の震災も東京で経験したんですよ。ぼくが行くと地震が起きるのかねえって」
「ははは、もう熊本から出ない方がいいんじゃないですか」
新潟の地震も新潟で経験したと話してくれた。新潟の地震がいつのものだったのかは聞きそびれてしまった。
改装したばかりという試飲バーで、ご自慢の銘柄を試飲させていただいた。17年寝かせたという米焼酎と、新しく生産したという芋焼酎。米焼酎はすっきりした後味。芋焼酎はスイートポテトのような甘い香りがする。焼酎なのにワインのようなふんわりした後味。思わず1本購入。1260円。
倉から出て、ホテルの人に教えてもらった「新温泉」という古い温泉にいく。テレビの撮影にも使われているという、古い温泉だ。創業6年から変わらないという建物は見事なまでに昭和初期。酔いも手伝ってはしゃぎながら浸かる。300円。
さて、今回のイベントのネックは、サイン会が50人先着、整理券配布は当日10:00からという設定だった。地理的条件から考えると熱心なファンしか集まらないだろうが、50枚という枚数が果たしてどのくらいのペースではけるのか予想がつかない。徹夜で並ぶという選択肢もあったが、そこまでして体でもこわしたらイベント自体が嫌な思い出になってしまう。
夜になってツイッターを見たら、すでに徹夜組が出ているという情報が。早朝タクシーで行くか迷うが、人吉温泉から湯前まで6000円近くかかると聞いてあきらめる。オリンピックを見ながらぼんやりしていたら、頭を洗う前に眠ってしまった。
翌朝、ぼさぼさ髪を気にしながら出発。始発を目指して時間を設定したが、私のミスで逃す。6時21分に乗る。
48分かけて湯前に到着。駅から駆け足で美術館の方向を目指す。到着すると、まだ列は10名ほど。座り込んで、先生宛の手紙を書く。しばらくすると職員の方が集まってきた。9時頃にはサイン会会場になる湯前町役場湯前町農村環境改善センターが解放され、テレビの置かれた小さなホールに行列が移された。待ち時間の間に映画版「巨人の星」が据え付けのテレビに映される。
一息ついて、列に並んでいる人の顔を見渡す。連載時から読んでいたであろう男性から、20代前半らしき男女まで。どの層と言いがたい顔ぶれが印象的。近くにお住まいと思われる、小さなお子さん連れの家族に、手話で会話をされているカップル。いろいろな層の人がいることにちょっとほっとする。引き続き先生にお渡しする手紙を書くが、稚拙な文面になってしまいぎょっとする。緊張しているのか…。
10時に整理券13番を手に入れていったん解放。
美術館の方がトークショーまでの間に退屈しないようにと湯前巡り観光バスを用意してくれた。そちらもなかなかおもしろそうだったけど、私とYさんは原画展会場へ。