- 作者: 萩尾望都
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/03/07
- メディア: コミック
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震災後に発表された、福島に住む少女を主人公にした「なのはな」。ウラン、プルトニウムの擬人化マンガ、「プルート夫人」「雨の夜―ウラノス伯爵―」「サロメ20XX」。それに今回書き下ろされた「なのはな」の後日譚「なのはな―幻想『銀河鉄道の夜』」の5本を収録。
ウラン、プルトニウムを擬人化した3本は、作品というより教材のようだ。「雨の夜―ウラノス伯爵―」には、原子力エネルギーで豊かになるということが、人間の平和のための願いでもあったという描写がある。“人々がみな豊かになれば戦争はなくなる”というロジックで、ウラノス伯爵と呼ばれる青年が存在を主張するのだ。さらにウラノス伯爵はたとえ原子力発電所が事故を起こして、その周辺の土地に住むことが出来なくなっても、それでも戦争が起こって何百万人の人が死ぬよりましだという。今ではこれに説得される人はいないだろうけど、これが抗いがたい魅力であったことはよくわかる。ウラン、プルトニウムはどれもとても美しい無垢な存在として登場する。無垢な彼らを、私たちが見誤ったのだという構造だ。
「なのはな」は、福島の小学校六年生の少女ナホが、津波で行方不明になった祖母、立ち入れなくなった故郷、そしてチェルノブイリを思う話だ。ナホは現実に絶望し、奪われてしまったものを思って毎日泣いている。しかし、ある日夢で出会ったチェルノブイリの少女が、菜の花の種をまいて花を咲かせてゆくのを見る。夢の中で種まき機を手渡されたナホは、現実で改めて「帰ったら また 牛を飼って ヤギを飼って チーズもつくる」「たくさんなのはなを植えよう」と思う。
この話に、気軽に物差しをあてて「これこれここがよくできてますね」という評価をすることは、今31歳の私にはできない。私たち大人は、子どもに美しい未来を手渡すことに失敗してしまった。自分が生きている間には、二度と取り戻せないものができてしまったことを理解しながら、それでも希望を物語に描こうとする。ここで描かれた希望は、“向日性の未来を夢見る力”だ。かなわないかもしれない夢を、それでも見ようとする力。
そして書き下ろしの「なのはな―幻想『銀河鉄道の夜』」。
ナホと兄の学が、夢の中で銀河鉄道に乗る。電車の中には祖母と、たくさんの人や動物が一緒に乗っている。再会を喜ぶ二人だけど、祖母は同じ列車に乗っている迷子の少年と一緒に電車に乗ってしまう。迷子の少年のお母さんは、列車に乗っていない。だから、自分が一緒にいてあげなくてはいけないと言うのだ。ナホと学をおろして列車は行ってしまう。祖母は「ばーちゃんはいっつもみんなのごど見てっかんなあー」と言いながら過ぎ去っていく。
石井光太の話を思い出す。被災地では物語が生まれるという話だ。皆が死んだ人たちの物語を与えたがる。たとえば「天国の親が電話をかけてきた」。「自分の父が死ぬ時に誰かを救ってあげた」。もし、何も残さずに死んだ人がいたなら、その人が残したボートを遺体捜索に使ってあげる。そういう物語が存在することで人は救われていく、という話だ。
『なのはな』に収録された作品は、いわゆる完成度の高い作品ではないのだと思う。特に擬人化マンガは企業のPRマンガのようで、「萩尾望都がこんなものを」と言う人も少なくない。それでも、これらの作品すべてに、どうして人間には物語が必要なのかを萩尾望都自身が問い直した軌跡がある。今このとき、この場でそれに向かい合い、形にした。その真摯さが、読者である私に、私なりの真摯さを追求することを迫ってくる。そういう本だった。