ホンのつまみぐい

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「ハーレクインの世界」を読んで ハーレクインとBLと

「(前略)ハーレクインの世界だと、言葉で愛を表現するじゃないですか。(中略)言葉がないと二人の愛が承認されないシステムになってるんです。女性は、愛を言葉で説明して欲しいと常に思っている部分があると思うんです。(後略)」

「(前略)楽しみ方としては、男たちのとんちきぶりと、女たちの早とちりぶりには要注目ですね。彼ら、彼女らは妄想癖というか、「彼女はこう思っているに違いない」みたいに思い込みで行動しすぎるんですよ。行動する前に、一度、本人に確かめてみるべきですよ(笑)。(後略)」---ハーレクインの世界収録三浦しをんインタビューより。
 
 BLとハーレクインは似てるという話をときどき聞くけど、これを読んでなるほど共通するかもと思いました。言葉で愛を承認するというのが特に。あとは、アラブの王族(ハーレクインではシークと言うそう)との恋愛や、基本はハッピーエンドのジャンル小説・マンガというのも、かなり大きな共通項と言えそうです。どちらも女性が欲する恋愛ものということで、共通点があって当たり前ではありますが。

 ただ、ハーレクインはヒエラルキーがあくまで男性上位女性下位の構造で、それを愛の力で乗り越えるという構造なのに対し、BLの場合は二者間のヒエラルキーの変動がもう少し激しくて、その上下変動のシーソーそのものを楽しむものが多くなっていることでしょうか。まあ、私もくわしいわけではないので比率はわかりませんが。そもそもハッピーエンドが多いと言ってしまったら、「じゃあ、在りし日のJUNEは?耽美は?」という問いも出てきますしね。ざっくりした印象論であることを言い訳として言い添えておきます。
 
 私は恋愛というのは数少ない、二者間に支配・被支配の関係を持ち込める状態なのではないかと思っています。もちろん、それを肯定できるのはその支配・被支配が入れ替え可能な、ある程度対等な関係においてですが、ヒエラルキーの上下動を主体的に楽しめるのが、恋愛の面白さではないでしょうか。

 そして、少女マンガやハーレクインでは関係への到達が物語のエンドになってしまい、その後の関係性の上下動というのをあまりじっくり描いていないような気がします。基本運命の一人を選ぶまでの物語で、それ以降はあまりメジャーなテーマではない。

 いっぽう、BLではけっこうその支配・被支配の入れ替わりを描くことに力を入れている人が多くて、恋愛を描くことに関してはBLは独自の発展を遂げているような気がします。たとえば、この間紹介した「くいもの処明楽」。ずっと明楽が鳥原にリードされる物語が描かれてきたのに、最後の1話は明楽に愛されているか不安になってしまう鳥原の一人称語りの話になります。ここでは、これまでリードされっぱなしだった明楽が、不安げな鳥原の感情を笑いながら受け止めてあげます。これぞヒエラルキーのシーソー。

 この間の山本文子とヤマシタトモコのトークショーで、「BL・やおいヒエラルキー」という発言があったので、それを思い起こさせます。もっとも、どうしてそういう差が出てきたのか(そもそも本当に証明できるほどの差があるのか)はこれから考えるべき課題ですが。とっかかりとして調べていきたいネタだと思いました。

 ところで、この『ハーレクインの世界』は洋泉社刊で、ハーレクインにおけるアラブ人の存在、文学史的なロマンス小説の変遷などについても載っており、かなり読み応えがありました。コミカライズにおける編集者と作家の関係なんかも取材していて、ジャンル小説に関心がある方なら楽しめる本だと思います。

最後に、またまた三浦しをんさんのインタビューの、最後の言葉を。
「あと、ハーレクインのロマンスって、人間の善意、これは愛を含めてですけど、それを信じてるんですよね。すごくつらいことがヒロインに起こったとしても、周囲の手助けやヒーローの愛で立ち直ろうとするじゃないですか。だから、人は100冊も、200冊も飽きずに読むんだと思います。(後略)」

ロマンスの王様 ハーレクインの世界

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くいもの処 明楽 (マーブルコミックス)

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