ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

「彼氏彼女の事情」(津田雅美)についての所感(ネタバレあり)

 去年の6月に書いて、下書きに入れておいたものをなんとなく公開。

 内容の説明をサボっているでの、『彼氏彼女の事情』を読んでない人には何がなんだかわからないと思うが……。

 

 

 

 

 最初に読んだ学生のころから頭でっかちなマンガだと思っていたけど、読み直すとよけいそう感じる。

 でも、その頭でっかちな考え方で、社会や人と向き合うために作品を通して語り続ける津田雅美の姿勢が健気なのだ。「好き」という気持ちを回りくどく、誠実に、自分の感性を裏切らないように描いていこうという気合いの美しさ。

 この頃の津田雅美は、彼女しか持っていない言葉で、彼女にしか描けない世界を描いていてやっぱりすごい。光がさあっと差し込んでくる描写の心地よい演出とか、若干潔癖症気味に感じるほどの心と心のつながりに対する憧れや、児童文学的なナレーション。唯一無二だった。

 また、宮沢はところどころ「意識高い実業家界隈」と言語が似通っていて、すぐ効率主義的なこと、大人の裏をかくようなことを言う。大人になってから読むと、正直卑近でしょうもない背伸びをさせていると思うが、当時は少女マンガの主人公がこうした実業家めいたことを口にすること自体が新鮮だったと思う。彼女のようなキャラクターを多くの人に認めさせたことはやはりすごい。

 いま読み返すと作者がとても音楽好きで、音楽を作り上げる人に憧れを持っているのが伝わってきて面白い。スチャダラパーエニグマという言葉から感じられる96~05年の空気。とても白泉社らしい作風に、当時の空気がふんだんに詰め込まれていて、歴史に残る作品だと思う。

 宮沢たちが文化祭で作り上げる『鋼の雪』という芝居の「でっかいテーマのSFをぶちあげておいて、最後いい感じのセリフでまとめて無理矢理お話が解決する」という高校演劇っぽさがすごくリアル。

 しかし、しかしよ。本編も「でっかいテーマをぶちあげておいて、最後いい感じのセリフでまとめて無理矢理お話が解決する」というのは……。

 何より「健全な子育てで忌まわしい家族の歴史を断ち切ろう!」という展開が本当にまずい。家族の再生産によって呪われた血を断ち切るって、他者と自己の区別が付けられない人のやることじゃないですかね……。

 連載時、有馬が父親に会う直前くらいで読むのをやめてしまったけど、気になって最終巻だけざっと読んでかなり引いたことや、男性のライターが「様々な葛藤を乗り越えたすばらしいラスト」みたいなことを書いていて、その感性の差に気持ちが沈んだ記憶がよみがえった。

 今改めて通しで読み、後半の「すべてをセリフで説明してしまう演出力の限界」も含め、しょうもない終わり方だとしみじみ実感した。

 

 

余談:『カレカノ』が1996~2005年連載というのは、『カイジ』の黙示録~破戒録の1996~2004年連載とほぼ一緒だ。なんだか通じるものがある。

 破戒録(2000~2004年連載)の「知力があればゲームに参加することができ、勝てば望むものを得ることができる」というどこか新自由主義的で楽天的な世界観はとても2000年代っぽくて、『カレカノ』最終回の空気と共通するものがある。

 どっちも「家族主義的な日本型雇用が崩れたバブル崩壊後、世紀末を経て開き直ったかのように上昇志向がもてはやされた時代の作品」という感じがある。

 追記:「宮沢って堀江貴文の本を愛読してそう」と思ってたら、福本伸行が去年堀江のYoutubeに出ていてなんだかつながるものを感じた。

賭博黙示録 カイジ 1

賭博黙示録 カイジ 1

Amazon