「おもしろい!キラキラしてる!いい映画!!」と思ったし、↓の記事にもかなり全面的に納得しているのだが、ちょっと複雑な気分になった部分もあったので書き残し。
※ネタばれあります※
観ている間中、「アメリカの高校生金持ち過ぎないか……」とは思ったし、校長先生が食えなくて副業で運転手をやっているのに戦慄したし、ピザ配達の運転手の末路はどうかと思ったし、まったく気が付かなかったけど、「レズビアンに対してゲイがカリカチュア的」という指摘などはなるほどと思った。
そうした要素がこの映画に描かれている友情の美しさや、セックスやそれに対する憧れを描いたことによる熱量、奇矯な友人たちのふるまいの爽快感、マジックリアリズムを採用したという軽やかな画面作りなどを否定するわけじゃない。
ただ、こぼれ落ちるものが見えてしまった人にはやはりひっかかってしまう部分だろう。
直接的に関係があるわけではないのだけど、5chのヤマシタトモコスレをふと思い出した(中年なので5chを見てしまう)。ヤマシタはツイッターで遠慮なくリベラルであることを標榜していて、都知事選で宇都宮けんじへの支持表明をしていた。そうしたことに関する5chの反応は以下のようなものだった。
このへんはしょうもないというか、クソだなーという感じなのだけど、ひとつ気になった書き込みがあった。
「違国日記」は、もともと繊細な人間関係の描写に定評のあるヤマシタが、かなり踏み込んで社会と家族について描いた作品で、これまで社会の中で顧みられることのなかった多様な家族や恋愛の形が描かれている。そういう意味でリベラルな作品だといえるだろう。そして、極めて都会的な作品であるという指摘もわかる。珍しい野菜が入ってそうなサラダ食べてるし。
また、上に紹介した記事でわかるように「ブックスマート」の世界もとてもリベラルで、巧妙にルッキズムやジェンダーバイアスを解体し、若者をエンパワメントしようと努めている。トイレ男女共用だし。
しかし、「この風通しのよさは名門大学や有名企業に入れるアメリカのエリートたちだからこそ手に入れられるものではないか?」と感じてしまう部分は、やはり、ある。それは「結局金銭的に恵まれていたり、そうでなくとも親に代表される周囲がそうした考えを肯定している環境でないと、こういう世界は成立しないのではないか?」という問いを含んでいる。実際のところ、こうした世界が現実にいくつあるだろうか。
もちろん、世界がクソだからこそ理想を描く意味があるだけど、「違国日記」や「ブックスマート」には描かれなかった人がいること。これらの作品のメッセージに意味を感じることができない人がいること。自分がこれらの作品が好きなことを踏まえて、見過ごしてはいけない現実であり、だからこそ超えていきたい部分でもある。