ホンのつまみぐい

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2020年7月頭の大和ミュージック

 ストリップ初という女の子を連れての大和ミュージック。なぜかめちゃくちゃ混んでいて、ポラ列が長くてしんどかった。常連らしいお客さんが「昨日は全然だったのに。今日のこれは大和じゃない!」と言っていた。

 一番手の星愛美さんの緋牡丹のお竜モチーフの演目がとてもよかった。

 紫をベースにした着物で登場。ベッドでは赤い肌着で刀を振り回しながらアクロバティックなポーズを決めていた。

 灯りが消え、ステージが終わった瞬間に「ニッポンイチ!」という古風なあおりをする人がいて、大衆演劇とストリップがもう少し近かった頃の名残を感じる。

 星さんはもう50過ぎだと思うのに、刀を振り回して体中をつかって踊り、ポーズを決める。年配の踊り子からはどこかそぎ落とされたような純粋さを感じることがあるけれど、それがおんな博徒という役柄にあっていた。

 春野いちじくさんは牧場の女の子から牝牛に変化する演目をやっていた。脱いでからは頭には牛の耳。おっぱいのすぐ下、着物なら帯があたるような位置に、しぼって細くなった状態の牛の乳を模したものを巻き付けていた。厚底の銀ラメのサンダルを履き、M字に細い足を広げ、挑発的にほくそ笑む姿がエロティック。

 モーモーという言葉の入った不思議な洋楽が流れていて、その曲自体のおもしろさが彼女の身体と動作と衣装と小道具すべてをうまく束ねていて、逆説的に春野いちじくのクリエイターとしてのすごみを見せつけられた。

 一見清楚な身体に巻き付けられたさまざまな記号を、動作や表情で自分の表現に変化させていく。

 山本ぽてとさんが彼女のことを「出てきた瞬間から、うっとりした。似合う服を着ていたからだ。」と表現していたけど、よくわかる。奇妙な衣装だけどよく似合っていて、どこかうそくさい世界の向こうに見せたいエロスが浮かび上がる。

 先ほどの星さんもそうだけれど、ストリップで描かれる意匠の多くはどこかからの借り物だ。しかし、借り物の姿からオリジナルな表現や、その人自身を感じさせるものがにじむことがあり、そういうものに出会えた時にストリップを面白いと思える。

 もちろん、自分に自信のある人が裸になってにっこり微笑むところを見るだけで不思議とうれしくなったりすることも、パワフルなダンスを見ることで興奮することもある。だけど、時にまがい物と呼ばれるようなチープな意匠が、踊り子によって血の通ったものになる瞬間には、ストリップ独特のおもしろさがある。星さんといちじくさんのこの日の演目はそういうものだった。

 劇場は感染対策として手の消毒、検温、マスク着用、イスの間引きのほか、写真撮影中は踊り子と客の間にビニールカバーの仕切りを用意。撮影が終わるごとにそれを窓拭き用のクリーナーできれいに消毒していた。

 いちじくファンのお客さんと少し話したら、都知事選の話になった。「夜の街」を連呼する現職小池には苦い顔だったようだけど、「大阪の吉村さんとかリーダーシップがあっていいよね」というので、「いや、あれは下で働く人大変なやつですよ。大阪は感染者数すごいですし」という話をした。

 ストリップ劇場で政治の話をすると、どうにも「桜井誠さんのことを報道しないなんてマスゴミは糞」というようなことをしょっちゅうツイートしている極右のストリップ客のことを思い出してしまう。

 すきあらば「クレーマー障碍者のせいでこっちの生活が脅かされている」「性犯罪者は外国籍が多い」「糞人権フェミ」「反日韓国人は日本から出ていけ」などと書き、フォローイーの女性が「成人した」と書き込むと「一緒にストリップに行きましょう」と声をかけ続ける。

 また、未成年女児を狙う男性についての議論に対し、

「たしかにおっしゃる通り
たいした大人になれなかったオッサンの一人です。
だからこそ色眼鏡で値踏みされない少女に活路を求めるというのもあると思います。
性的に遊ぶだけで近づく男と、本気で生涯のパートナーを探す男とは一緒にされたくないですが、
一緒にされてしまう悲しさ( ;´・ω・`)」

 とツイートしたりと、とても自分勝手だ。

 そのストリップ客が、「ストリップ劇場は優しい空間なんです」とたびたび言い募っているのを見ると、「彼の言う優しさの内実は一体何なんだろう」と思わざるを得ない。彼が「ストリップ劇場は優しい空間」だという理由のひとつは、自分を否定しないからだろう。しかし、こんなに明確な侮辱を行っている人を誰もとがめないコミュニティが、はたして優しいのだろうか。たしかに個々人の考えに意見をするのは大変だけれど、「差別はダメだ」という声の広がりがコミュニティの中にあれば、そうした書き込みも居心地が悪くなるものだと思うのだけれど……。

 もしこれを読んだ人で、彼の言葉に違和感を覚えている人がいたのなら、せめて「差別的言動はやめてほしい」と言葉にしてくれないか。そんなことを願った。

 ストリップのお客さんがそんな人ばかりじゃないのは知ってるけど、それでも1人そういう人がいると、それだけで誰かの人生を損なうのだ。

 帰り道、同行してくれた女の子と雑貨屋へ。駅からだいぶ遠い立地に会ったけど、気合いの入ったお店で感心した。けれど、家の中のぬいぐるみやシール、チラシ、ノートなどを「使い切れない」「管理しきれない」という理由でどんどん整理しているため、「きっと買っても活かせない」と思ってしまって何かを買う気になれなかった。自分の残りの人生の尺を意識してから生まれた感覚だ。

 昔の自分にとっては雑貨屋は夢のような場所だった。オリジナルだけど、その分ちょっといたないところもあるさまざまなシールやノート、アクセサリー。ガラクタと紙一重だけど、なんとなくときめきのあるアンティーク雑貨。

 たくさんのキラキラしたものからお金と憧れの折り合いをつけて少しだけを選び出す作業が楽しかった。そういう遊びの感覚がだんだん薄くなっていて、どうもよくない。雑貨を買う以外の新しい憧れが必要なのかもしれない。

 手ごろな値段の宝石のアクセサリーやロシア風カップなど、手元に置きたいものもあったけど、即決するには至らなく、「年収が一千万だったら買ったかも」と思った。

 お店には入れ代わり立ち代わりキラキラした目の人々が入ってきて、少し息苦しい店内レイアウトも含めて、憧れを凝縮したような店だった。

 久々にけっこうな量を歩いたら、自分が歩き方を忘れていることに気が付いて驚いた。

 帰宅して都知事選の結果を待つ。ゼロ打ちで終了。「団地と移民」を読んでいたので、維新の小野たいすけの人気と、桜井誠の得票数に沈み込む。