メルカリで買って20年ぶりくらいに読んだ。20年前は図書館で。今も書庫出納すればあるんだろうなあ。前は展子に心を寄せていたけど、今回は「佐野さんはこの後どういう気持ちで生きていくのだろうか」ということが、読後最初に頭に浮かんだ。しかし、改めて読むとこの展開からああなってこうなるのすごい。もっとがっつり読み込みたい。
コミティアで著者から直接購入したが、気の利いたことは何も言えず、敬意を伝えられているか心もとない。うう……。
「福太な日々」と「ぼくとおばあちゃん」は肩の力の抜けた猫マンガ。
「不思議の国の花子さん」は1996年の「婦人民主クラブ発行新聞」に連載されたもの。2046年、理想に近い形に成長した世界を描きながら、女性の権利運動について解説している。樹村みのりの人文知が非常にわかりやすく形になっている作品。
そして、この花子さんの物語は少し形を変えて「女性学・男性学 -- ジェンダー論入門」に16pの短編として掲載されている。この本には他にも2本樹村みのりの描き下ろし短編あり。人文知の幸福な結実。編集者の慧眼に感謝。
模写によって生じる面白さのレイヤーが重層的でめちゃくちゃ楽しい。何度も読み返してしまった。青春物としても秀逸だし、マンガ史的にも重要な証言がたくさんの豪華な本。いくらでも語れるので単独で記事を書きたい。
「風に逢った日 他、一編」は、「薔薇はシュラバで生まれる」に登場する笹生さんのデビュー作と投稿作。「箱の中から…」は三原順の原稿保管に対するごたごたなど。右の青いのは立野昧さんとごだまさんによる三原順関連情報ペーパー「charlotte sometimes vol.1.92」。まんだらけ通販で購入可。
ストリップ劇場マンガをイブニングに連載中の菜央こりんさんの同人誌。ファイヤーヨーコさんのあの感じが再現されていて笑った。
(本とは関係ないが、ヨーコさんが奥田純平のツイートに自己責任論ベースのクソリプを送っていたのは失望した)
「薔薇はシュラバで生まれる」にあわせて再読。抑圧の果てに精神が壊れてしまった女性に、あの服を着せる山岸凉子の正しさよ。そっちの文化に詳しくないけど、あれもゴスロリと呼んでいいのだろうか。ハマのメリーさんの晩年の服装とも近い。
あくまで画集で、制作秘話などは少なめ。光のとらえ方がすばらしくて見ていると緊張する。あとがきの言葉の 「絵を描くことは嫌いではないのですが、 正直苦手ジャンルです」に思わず「まじすか」とつぶやく。
薔薇シュラ掲載作が読みたくて。男の子の描き方など、今読むとちょっと没入しづらいところが多い。
よくわからなかった……。10年位前に読んだ時も「名作とされているけどよくわからないぞ!」と思った。年を重ね、さまざまな経験を経て、多少心に響くようになってるかもしれないと思って読んでみたけどやっぱりよくわからなかった。くやしい……。
喫茶店に置いてあるのを見つけて思わず読んだ。発売時に配られていたポストカードをずっと持っているだが、本自体は初めて読む。「真昼というタイトルなのになぜ表紙が夜の写真なのか」を解き明かそうとする天野太郎の解説も含め、いい写真集。ずっと眺めていたくなる。しかし、この頃ってぼんやりした時代だったんだなあと今と比べて思う。
コミック・バンチのキャンペーンで無料になっていたので。性欲に負けてどんどん不幸になっていく主人公の落ちっぷりを楽しむ、不倫がテーマのサスペンス。ストーリー展開や描かれる心理はめちゃくちゃくだらないのだけど、自分のマンガの個性を理解しきった作者が作るはちゃくちゃなドライブ感が最高。「毛」ってなんやねん。
横浜のカフェに置いてあった。よくあるイラストレーターのカフェ探訪本だけど、著者のお店や食べ物に向けるキラキラした目線がそのまま絵になっているようで、自分もこんな風に物事を見たいし、できればそれを絵で再現したいと思える。著者が横浜在住らしく、知っている店がちょこちょこ出てくるのでよけいにそう思うのかも。沖縄の喫茶店で出されるアイスコーヒーを描いた絵が見事だった。アイスコーヒーを絵に描いて、なおかつそこに込められた憧れを形にしようとするとこうなるのかと感動。
PHP研究所から出た時はエッセイとマンガの連作だったものが、電子書籍でマンガだけになっている。権利の買取の方法など、いろいろうまくいかないこともあるだろうから、それは1000000歩くらい譲って仕方ないとして、そうならそうと、本文内でいいのでどっかに書くべきでは……。別の本じゃねえか。内容的には読んでいるとヒリヒリするようなものが多くて、少しつらかった。
差別をめぐる言説がいろいろ整理されていて勉強にはなった。ただ、「それでは差別のない世界をどうやって作ればいいのか」あるいは「差別されている人はどう戦うべきなのか」というところに著者が興味がないように見えて、読後につい批判的言説を探してしまった。下のリンクはそれ。
差別について語っている人のことは見ているけど、差別のために生活に支障が出ている人々のことは、見ようとしていないように思う。医大受験で不当に点数を引かれていた女性や、脅迫状を受け取った川崎在住の在日の方には、彼の言葉は空虚に映るのではないだろうか。
自分はその場に立たされていないか大丈夫という驕りがなんとなく見え隠れする。
いつか自分の違和感が「口のきき方が気に入らない」レベルのイライラなのか、それとも論としての本質的な空虚さに対する怒りなのかをきちんと言語化できるようにしたいところ。それはともかくとして、天皇制にはやっぱり向き合わなくてはいけないのか……。
これ、いったいどこから突っ込んだらいいんだろうなぁ…。/大澤昇平さんに『「差別はいけない」とみんないうけれど。』を読んでほしい @gendai_biz https://t.co/8qNqlWHvNS #現代ビジネス
— 金明秀 KIM, Myungsoo (@han_org) 2019年12月21日
ひたすら優しい白央篤司。料理のための買い物にも、向き不向きがあるというのは名言。私も家電やPCの購入は恐怖です。料理好きでもいろいろ役に立つ情報のある、とても良い本。↓WEZZYにレビュー載せてもらいました。
料理研究家の変換をテーマにしたところ、結果として戦後女性の歴史について描くことになったという好著。主婦の変換。料理とは誰のためのものか。伝承とは。健康と料理について。料理研究家の著書、そして生き方を見ていくことで、さまざまな切り口が生まれていてとても面白い。
小林カツ代の生き様に泣く。
「家庭料理って臨機応変よ」と笑顔で言うなど、完璧でなくていい、というメッセージをいかに送り続けていたかが改めてわかる。
番組に寄せられた投稿は、働く母だった人が「多忙を乗り切れたのは小林カツ代さんのおかげ」と伝える内容が目立つ。(中略)彼女の後ろについて「今を乗り越えた」たくさんの女性がいたのだろう。
たとえばNHKが2005年2月17日に放送した『福祉ネットワーク』では、後世中の少年少女におにぎりを教えたエピソードを次のように語っている。
「親がいないよりもっと悲惨なのは、いるのに放棄されていること。それで犯罪に走った子がほとんどなんです」。「お母さんがおにぎりをつくってくれたでしょ」という話はタブーだが、「いつでもあなたちは、優しいお母さんになれるのよと話します」。
共通する思いが、インターネットサイト『学びの場.com』で、同年3月9日に掲載されたインタビューにも表れている。
「食の基本はやはり家の料理です。でも、必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいからおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかりと残るんです」
めちゃくちゃ面白かった……。しかし書評を書く前に一度返したら、図書館が閉まってしまった。一生読みそうだし、買い直そうかな。