大島弓子の名作短編「つるばらつるばら」に「かわいくてキラキラしたものを見ると、心に心地よい温度のシャワーがあたる」という表現がある。私はこの表現がとても好きだ。そして、渋大祭にいる時間は、とにかくずっと心地よいシャワーを浴び続けているような気持ちだった。
会場の川崎東扇島公園は、川崎駅前から指定のシャトルバスで。列に並ぶのは20~60歳くらいまで。それから親子連れ。たぶん30代、40代が多かった。
公園に着くと工業地帯の匂いなのか、ちょっと気味の悪い匂いがしたけど、すぐ気にならなくなった。子供向けの売店もあり、ほのぼのした雰囲気。
小雨の降る中だったのでポンチョ型レインコートを持って行ったけど、撥水性のジャージで大丈夫なくらいだった。
ドリンクをもらうと、「おつまみ岩下の新生姜」がついてきた。ちょっとダシの味がしておいしい。
ステージは5つ。もっとも大きい源ステージと寿ステージ前の芝生は踏み荒らされて田んぼみたいになっていた。
まずは「普段はあんまりこういうところでしゃべらないんだけど……」という不破大輔さんの開会あいさつ。といっても、特に儀式的な言葉はなく。「これは客入れバンド」と称して、渋さ知らズバンドの登場。まだ少し小雨の降る中の演奏。
次のアクトの前に会場をぐるぐるまわる。広い公園、海の向こうに見える工場、メンバー出店の屋台。なんだか全体が絵になる。
メンバー屋台のローストポーク丼を買う。これにも新生姜入り。肉もコメもおいしい。
次はROVO! 音源は聴いてたのだけどライブは初。自分の気持ちがまだ仕上がってなくてがっつり没頭出来なかったけど、ライブはとても力強かった。ステージ前がまだまだ田んぼで、ガチ勢以外は遠巻きに観ざるを得ない感じがなんだか面白かった。演奏が終わってステージ横を見ると、中村佳穂さんがバンドメンバーらしき人たちとふわふわ歩いていた。
この前後くらいで、不破さんがお客さんと話しているのも見た。耳にたばこをはさんだ不破さんは競馬場のおっちゃんみたいだった。
転換に電球みたいなボトルに入ったりんごジュースを買う。底にぴかぴか光るライトが埋め込まれていて、スイッチを押すとジュースを内側から照らす。原宿にも同じようなものが売ってるけど、広い公園で音楽を聴きながら首から下げると、それはもう宮沢賢治の世界じゃん……。
鬼頭哲さんが会場で麺を作っていると聞いて自家製麺の整理券の列に並ぶ。大真面目にぐるぐる回す様子がおかしい。しかし、列が長い……。いや、でもtoconomaもGOMA & The Jungle Rhythm Sectionも開始までしばらく間があるし、「特別なラーメンを手に入れるぞ!」というやる気を奮い立たせる。
列に並んでいると、突如サンバがはじまる。ゲリラ出演の「Bloco Arrastão」だ。明るい喧騒に耐え切れず、一瞬だけ様子を見て、踊る人々の姿に笑顔になり、ダッシュで戻ったりしていた。
しばらく並んで整理券ゲット! そして、今度はワゴン車前のラーメン受け取りの列へ……。うーん、整理券の時はそれなりに列が動いたけれど、ラーメン受け取りの列はなかなか動かないぞ……。どうも、ワゴン車の中の限られたコンロの中、一回一回麺をゆでてから渡しているので、時間がかかるようだ。鍋の数が限られているようで、3人ずつくらいしか進まない。これは厳しい。「頭くらいは見られなくてもしゃーない」と覚悟したtoconomaもしくはGOMAのライブだが、どんどん進んでいって焦る。
右手からはドコドコ、背中からはジャジャジャと音がする。残り15分になったところで「これはもうライブが終わってもラーメンの順番来ないぞ!」と思って列を離れてGOMAのステージにダッシュ。
ステージ前に着くと、GOMAの「渋さがどんどん海外公演やってる頃に、不破さんと話したら『どんどん膨らんできますわ』というので、『何が?』と聞いたら『借金!』って(笑)」というMC。「えー、今日も赤字なんじゃ」と思いつつ、がっつり踊る。
小柄なGOMAが大きな楽器を軽々と、しかしアグレッシブに使いこなす。奔放な身のこなしは石ノ森章太郎の幼年向けマンガの主人公みたいだ。そして、ディジュリドゥの音に負けじと顔を真っ赤にしながら叩かれるパーカッション。なんだか、格闘技のような壮絶さすらあった。
最後は全員爽やかにあいさつして終了。再びラーメンを取りに行くと、まだまだ列は続いていて、鬼頭さん含めスタッフが列に並んだ人に提供しきれるかどうかを話し合っている。ちょっと不安になったものの無事ゲット。歩きながらすする。しっかりした太麺。小麦の味も濃く、おなかいっぱいになる。
空はだいぶ雲も薄くなり、ステージから少し離れると、座り込んでくつろげるくらいに芝生も乾き始めていた。
さて、中村佳穂さん。玄界灘渡部さんによる出演者紹介によると、渋さに縁の深い演者ばかりを集めたこのイベントで、唯一あまり関わりのないアーティストが彼女なのだという。
「うちのスタッフもみんな、佳穂ちゃんの音楽が好きで」というのがブッキングの理由だとか。
例の数字をカウントするやつを「今年いちばんの数で!100」とコール。楽しそうに笑って歌っていた。ただ、残念なのは私が「おお、YouTubeで見たやつだ!」という気持ちで聴いてしまったこと……。もっとフラットに楽しむべきだった。
そしてお腹がふくれて眠くなってきた。
お次のクラムボン。グッドミュージックだな〜と思いながら芝生に体をあずけて聴いているうちに、途中から本当に眠っていた。豪華なBGM。あとで、最後はみんなで海を眺めながら「RE:残暑」を歌ったと知って、ちょっともったいなく思う。でも、寝るのもめちゃくちゃ気持ちよかったな。
寝起きで少しぼんやりしながらThe Sun Ra Arkestra待機。
湯浅学が出てきて、「サンラはもう亡くなってるんですけど、ここに草間彌生みたいなカッコのハナ肇みたいな人が出てきますから!」というざっくりした解説をする。
登場したサンラのメンバーのアメリカのチンドン屋感! そして、一番目立つところで、サックスを吹く95歳のおじいちゃんことマーシャル・アレン。なんだかありがたくて幸せな気持ち。
ちょうど赤く染まる夕陽と夜の青が溶け合う頃合いに聞くビックバンドの演奏はのびやかで、とても心地よかった。すっかり暗くなってからは照明の移り変わりも楽しく、衣装の華やかさと幸福感を増幅させていた。
サンラ終わって急いでGEZAN。
赤い照明の下で叫ぶマヒトゥ・ザ・ピーポーは、歌詞のプロテスタント性も含めて、まるでステージで戦争しているようだった。
ふと、昼のGOMAのライブにも、どこか人間そのものを削り取っていくような暴力的なものを感じたことを思い出した。考えてみると、わざわざ大きな音を聴くということ自体、身体にいいことではないだろう。音が暴力で終わる瞬間と、表現として光を放つ瞬間の差はなんなのか。
GEZANはもう一歩で暴力になってしまう、際のところで音楽をしているように思った。
少し休もうと思って天ステージのイスに座る。少し向こうの彦ステージのYAKUSHIMA TREASUREの浮遊感のある音を聴いていた。
ZAZENBOYSの轟音にチャラン・ポ・ランタンのMCも聴こえる。すっかり暗くなった公園の風景に、ZAZENの重たい音は似合うだろうなと思ったりした。
最後は渋さ知らズオーケストラ。「チャーラーラーラー」が鳴ると、つい両腕を振り上げてしまう。私は不破さんが何をしているのか本当のところよくわかっていないけど、彼がまるめた背中をこちらに見せながら手を広げる瞬間の暖かい高揚感はしっかり身体にしみついている。
玄海灘さんのエモめのMCが挟まる中、サンらに若林美保、向井秀徳、若林淳、Bloco Arrastãoなど、ありとあらゆる人々がステージに登場する。いつものダンサーに加え、わかみほさんが赤フンドシをつけて踊ってくれたり、羊の着ぐるみやナース服が乱入したり……。
小汚い人も華やかな人も、若い人も老いた人も、みんなステージの光の中で踊っている。紺色の空に包み込まれ、白く明るく照らされるステージは神話の宴会のようだ。「聖と俗」という形容が頭に浮かんだけれど、その言葉の印象よりはもっと生々しくて、気さくな暖かさがあって、自分たちのいる場所と地続きなように思える。
玄界灘さんの「続けるって、続けるって、いいもんだなあああ~~」と叫びを聞いて、この言葉をずっと覚えておこうと思った。
演奏が終わり、最後に名残惜しそうにステージを行き来するメンバーの姿を見送って、バス待ちの列に。列の後ろがちょうど常連さんだったようで、「今日ちょっと盛り上がりが無理やりじゃなかった?」「やっぱ二時間はないとさ」などと話していて、そういう風にみんながバラバラなところも含め、本当にあたたかいシャワーを浴びているような空間だったなと思い返しながら、バスに乗り込んだ。
家に帰り、やっと電球型のボトルを首から下ろすと、もう光が消えかかっていて、魔法のような一日に優しく幕を下ろしているようだった。
※渋大祭、当然ながら赤字だそう。行ったライブの映像をあとから見直すことはまずないのですが、今回の映像化には、敬意を示すためにお金を払おうと思います。