ホンのつまみぐい

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森鴎外ではじまり、永山則夫で終わる「横濱」/文芸アンソロジーシリーズ紙礫「横浜」

横浜 (シリーズ紙礫10)

横浜 (シリーズ紙礫10)

 

 

 文芸アンソロジー「紙礫」の1冊。編者は「娼婦たちから見た日本」「ストリップの帝王」「黄金町マリア」など、一貫して社会の陰の部分を取材してきた八木澤高明。「人の業が生み出す匂いのする港町で生まれた物語」という出版社のふれこみ通り、愚連隊のいざこざや、遊郭の遊女の群像劇、レンガ工場の女工の話など、終わり方も重たい話ばかり。明治から始まり、高度経済成長期で終わる物語群が、はぐれものを受け止める土地としての「横浜」を浮かび上がらせる。おそらく意図的に具体的な地名の記載された物語を選んでいるので、地元の人なら本を手に歩く楽しみもあるはず。たとえ慣れ親しんだ土地に悲劇の跡ばかりを見ることになったとしても。

 中では体の弱い少女が病躯を押して鶴見の工場で働く様子を描いた「煉瓦女工」が印象に残った。

 

その時、みさは(今度こそ他人に淋しいと話せば共に泣いて貰えるののではないかしら)と思った。そして、其の話も同性のしまには警戒と軽い蔑みをもって、口先だけは世間並みに作っていたのに、つい最近知り合った佐久間が「異性だ」という魅力だけで、「遊びに行く」と、簡単に言った自分の心が恐ろしい気がした。

 

 1940年刊行のプロレタリア小説に、淋しい少女の心のうちをこんなに丁寧に描いた物語があったことに驚く。そう、淋しさを誰かと分け合いたいという渇望も、異性に対する憧れからふっとガードが緩んでしまう気まずさも、私たちの心の中に今も根差しているものだ。当時の少女たちがこの物語にふれる機会がどれだけあったのかはわからない。けれど、きっと読んだ人の心に優しく寄り添ったに違いない。これは間違いなく少女小説であり、児童文学だろう。

 本作は同年、映画にもなったとか。映画は「貧乏長屋に住む複数の家族と対岸の朝鮮半島からの移民の人々の生活と交流を細やかに描いて、庶民の哀歓を活写した作品で、貧乏が当たり前な長屋での生活を生き々と見せてくれます。」とのことで、とても気になる……。

movies.yahoo.co.jp

 「紙礫」シリーズはこのほかにも闇市、街娼、人魚、テロル、鰻、路地 被差別部落をめぐる文学、変態、浅草、図書館情調、ダッチワイフ、耽美、基地といった、「たしかに刺激的だけど買う人どれだけいるんだ」と思わせる酔狂な編纂を続けている。しかも、文芸ではあきたらず、ルポルタージュやシナリオなども含めたアンソロジー「紙礫EX」というものを始めている。「EX」第1回のテーマは「色街旅情」で、目玉は坂口安吾阿部定の対談だとか。ちなみに八木澤高明は「基地」の編者も務めている。

 

色街旅情 (紙礫EX)

色街旅情 (紙礫EX)

 

 

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