ホンのつまみぐい

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私がDOTAMAの大麻乱用防止プロジェクトへの参加を支持できない理由

 DOTAMAが警視庁の大麻乱用防止プロジェクト『I’m CLEAN なくす やめる とおざける』に参加してラッパーから総スカンを食らっていた。

togetter.com

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 DOTAMAに対する批判はおおむねこんなところだ。

①DOTAMAの仕事仲間には大麻をやっている人も多いのに、仲間を裏切っている
②バビロンに協力するなんておかしい
③キャンペーンサイトの中身は利用者を糾弾し、大麻に対する偏見を植え付けるもので、実情とあっていない
④あいつはヒップホップじゃない

 こうした批判の他、野次馬の中には「所詮Mステに出るためにバンドのライブをドタキャンする男」だとか「そもそもバトルでこんなひどいことを言うやつだから」とかいう人もいたが、それはさすがにうがちすぎだろう。

 特に、FINALFRASHのリリースパーティの件はDOTAMAに選択肢があったようには思えない(フリースタイルダンジョンモンスターでミュージックステーションに出ることになったために、彼のリリパが直前で中止になったのではないかという憶測が飛んでいる件)。「前から何となく好きじゃなかった」人が、関係の無いところまで引っぱりだして悪く言っている様子はみっともないし、ある種の同調圧力を感じてしまう。

 私はあくまで観客なので、コミュニティの参加者としての意見を言うつもりはない。DOTAMAとほかのラッパーの関係については当事者同士で決着をつけるべきものなので、こちらが意見すべきことではないと思っている。

 もともと、大麻を吸うことを通過儀礼とし、そこから仲間意識を築き上げるコミュニティの特性には嫌悪感を抱いていた。(←追記:ここ、自分が直接体験したわけでも、調査したわけでもないのにヒップホップコミュニティ全体がそうであるかのように書いてしまったのは早計だし、自分の偏見に対して無自覚でした。大麻の今後についても含めて、もうちょっと勉強します)

 一方で、大麻を取り締まる国家や警察の対応にも不信感がある。市民社会の安定のために取り締まるというには、いまいち不合理に感じる点が多く、そこに何らかの計算を感じさせるからだ。いや、計算ではなくただの思考停止かもしれないが、現状の法や社会とのあり方に見直しの余地があることは間違いないだろう。

 大麻の合法・非合法に関する議論は今回はさておく。判断するにはあまりに情報が少なく、もう少し時間をかけて意見すべき題材だと思うからだ。

 その上で、やはりDOTAMAの選択は支持できない。

 ヒップホップの大きな特性は、「ほかの音楽より気軽に始められる」ことだ。ビートは人が作ったものを切り貼りして作っているし、サイファーをやるだけならiPhoneひとつで適当にビートを流せば始められる。つまり、「貧乏でも学がなくても始められる」という側面がある。

 その敷居の低さがあるからこそ、ヒップホップは様々な人の言葉を表に出すプラットフォームとして根付いている。

 「ヒップホップは不良の音楽」というのはおかしいが、「ヒップホップはこれまで言葉を発することが出来なかった層に表現の場を与える音楽」というのは間違いない。

 犯罪と関わりの無い人生を送ってきた人間が、大麻の売人の歌を聴き、胸を打たれることもあるだろう。こうした瞬間、漠然としたイメージ上の存在だった「犯罪者」が、一個人として輪郭を持って現れる。そういう面白さこそ、芸術や文化と呼ばれるものの力の一つだ。

 対して、今回のキャンペーンの内容は、すべてをのっぺりとした「イメージ」で塗りつぶすもので、そこに芸術の力を感じ取ることは出来ない。

 DOTAMAに対する「ヒップホップじゃない」という言葉に理があるとしたら、それは大麻を否定したからではなく、あまりに凡庸で平面的なキャンペーンに参加したからだろう。私がDOTAMAの選択を支持しない、大きな理由の一つはこれだ。

 もちろん、彼がキャンペーン内容を制作したわけでは無いだろう。しかし、キャラクターとして自分の名を出すのであればそこに内容を引き受ける責任は存在する。

 そして、多くの人が理解し難いと思っているであろう「バビロンの犬になった」という批判について。

 「バビロン」という単語に手垢がつき、意味もわからず使っている人が多いように見えるので、もっと単純に「権力」と言い換えよう。

 国家や警察には一個人の人生を蹂躙し、ねじ曲げる力がある。なにせ、個人より国やら警察やら、いわゆる権力のほうが圧倒的に大きい。

 多くの場合、権力が恣意的に乱用されることによる弊害は、社会的立場の弱い人々のところへ押し寄せる。だから、市民は権力を監視し、時に批判する必要がある。

 ヒップホップが貧困、いやもっと広い意味で「社会的立場の弱い人々」と切り離せない文化であることを、DOTAMAが知らないはずがない。そして、それゆえに公権力と対立することが少なくない文化であることも。

   それなのに、どうして公権力に協力したのか。そこにどうしても選び取らなくてはいけない理由はあったのか。それとも、権力側に所属することを希望しているのか。

 ここで浮かび上がってくるのは、吉本新喜劇安倍総理を舞台に上げたことや、女性向けファッション雑誌「ViVi」が、無批判に自民党とのコラボTシャツキャンペーンを受け入れたことと同じ種類の失望である。

 今回の批判に対し、「DOTAMAさんを皆で批判するのがまるで弱いものいじめみたい」という意見があったが、まず、彼が一個人より圧倒的に強大な、権力側のキャンペーンに参加したことを考慮してほしい。

 

 また、SNSでは「大麻は法律違反なのだから、否定されて当たり前だろう」という言葉が散見されたが、この発想は明確に間違いとしておきたい。

 そもそも法律というのは流動的なもので、社会の流れによって変化するべきものだ。

 たとえば、かつて日本には優生保護法という法律が存在した。

 この法律には「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的とする」と条文に書かれていた。人間を「不良な子孫」として仕分ける差別的なこの文言により、多くの障害者が強制的に不妊手術を受けさせられたのである。

 1996年にこの法律は母体保護法に改正される。しかしそれは「障害者への根強い偏見による人権侵害を、法律が後押しする」という状況が、つい20年ほど前まで平然と成立していたということだ。

www.nhk.or.jp

 本来、法というのは社会の変化や人権上の理由によって、常にアップデートしていくものなのだ。ロビイング運動や社会運動(デモなどを含む)が行われるのはこのためである。

 もちろん、個々人が大麻が合法化された社会を是としないというのであれば、その意見を否定するつもりは無い。大麻合法化に動く人々のロビイング運動の稚拙さを批判するのも自由だろう。しかし、「法律で決められているから」という考えそのものは思考停止であることを念頭に置いてほしい。

 これは大麻の件に限らない、社会を考える上での最低限の常識である。

 それにしてもよくないのは、DOTAMA自身がどのような意図でこのキャンペーンに参加したかを明らかにしていないことだ。

 たとえこれまで所属していた文化に反旗を翻すことになったとしても、青少年が違法薬物を手にするのを否定したかったのか。それとも、こんなに叩かれると思っておらず、ただ「大きい仕事が来た」ことを喜んで引き受けたのか。企業側とのつきあいがあり、どうしても断れなかったのか。あるいは、今後のキャリアの形成に大きなプラスになると思い、批判を想定した上で引き受けたのか。

 私は彼のファンではないため、気持ちを斟酌する立場にないと思っているのだが(なにせ自伝も読んでいない)、一つ気になっていることがある。

 彼の作る歌詞の変化である。

 DOTAMAには「リストラクション」という曲がある。2012年にリリースの「リストラクション~自主解雇のススメ~」に収録されたこの曲では、理不尽な会社員生活の中で疲れ切った男の「辞表を叩き付けたい」という叫びが歌われる。文字通り「怒頭」に来た庶民の怒りを代弁した歌だ。

www.youtube.com

リストラクション~自主解雇のススメ~

リストラクション~自主解雇のススメ~

 

 また、2015年リリースの「ニューアルバム」収録の「イオンモール」という曲は、いち地方都市での日常を、無個性の象徴とされるイオンモールを通して描く。消費を促進し、わかりやすい幸福をラベリングしようとするイオンモールの中で、孤独を感じつつ日常を愛そうと試みる歌だ。

ニューアルバム

ニューアルバム

 

 どちらも、「普通」であることを隠さない、しかし「普通」になりきれなかった彼の個性が現れた曲である。

 しかし、2018年リリースの最新作「MAJESTIC」内の「働き方改革」では、ブラック労働への怒りは「どの仕事にもやりがいある 探しながら生きていこう」でまとめられてしまう。

 また、佐野市のPRソングである「MYCITY」では「大根そば食う 冷えたのが好き 年に一度ある 秀郷まつり」という固有名詞があがり、「楽しい日も 悲しい日も この街は誇り高くあり続ける歩んで行く 俺達とONLY ONE EVERYDAY WE LOVE COME ON NO,1」と締めくくられる。「イオンモール」で示した哀愁からすると、ずいぶんとコマーシャリズムに満ちた内容だ。

www.youtube.com

 こうした変化の延長線上に今回のキャンペーンへの参加があるのなら、それはあまりに寂しい話だ。

MAJESTIC

MAJESTIC

 
怒れる頭

怒れる頭

 

下記は「MAJESTIC」への辛辣な批評が書かれた記事。

iga.hatenablog.com

 ちなみに、私は今回の件については、ダースレイダーの意見にその語り口も含めて大きな影響を受けた。このエントリに同意する人も、反対する人も、ぜひ一度彼の文章を読んでほしい。下に紹介したブログ記事はツイートの転載だから、少しわかりにくいけれど、批判はしつつDOTAMA個人を一方的に否定しない姿勢も含めて、学び取るものがあるはず。

ameblo.jp

 

 

ダースレイダー自伝 NO拘束

ダースレイダー自伝 NO拘束

 

 追記:あと、ファンではないですが、周りに好きな人多いし、私も好きな曲もあるので今後またDOTAMAの曲を安心して聴けるようになるならそれにこしたことはないです。だからこそ、曲でも文章でもいいですが、ちゃんと意見を表明する必要があると思いますが……。

また、DOTAMAと同郷で、5W1Hというユニットを組んでいたDUFFさんが愛情のあるdis曲を発表しました。

 

 

 

追記:2019年6月25日

 韻踏み夫くんの記事。風営法からはじまり、市民社会におけるカウンターカルチャーのあり方に踏み込んでます。

 でもまあ、業界的には、なあなあなまま「みんなラップを愛する仲間だもんね!DOTAMAもともだち!!」みたいに終わると思います。ははっ。

 

bobdeema.hatenablog.com

 

追記:2019/12/11

 「DOTAMAの『働き方改革』はブラック労働を肯定している」と書いてからしばらくして、彼は宣伝を担当しているチームで、こんな企画に参加させられていました。

 

www.nishinippon.co.jp

 ネットには「『サガン鳥栖の売れ残りグッズとCDの抱き合わせセット』を1717個作って、それを完売させるか否かで、DOTAMAの宣伝大使としての続投を決める」企画ではないかとのファンの言葉が散見。

 セットの中身は、DOTAMAがサガン鳥栖のために作った曲「GIANT KILLING」のCD、オリジナルタオルマフラー、オリジナル メガホン、サガンローラで、3900円(税込)。

 かつて地下アイドル現場で頻出した「〇〇売れなかったら解散」企画を思い出させる内容で、開始時にサポーター側からも「うちのチームのクソ企画につきあわせて申し訳ない」と言われていたらしいのですが、これについてDOTAMAはブログでこう書いていました。

 

いつも熱いご声援有難うございます。

 

サガン鳥栖、CHIEF RAP OFFICERのDOTAMAです。

 

タイトルの件。一部、サガン鳥栖のサポーター様から、

サガン鳥栖のCROグッズ販売企画の実施について。

私、DOTAMAをこの施策に付き合わせて申し訳ない。

とする声を頂いておりますが、 今回の企画の発案、提案、並びに、

実施についてはCROというプロジェクトで意思決定を下したものになります。

 

約一年間、サガン鳥栖を応援させて頂く中、来季も続けるにあたって、

本当にCROがサポーターの皆様に評価されているプロジェクトなのかを

ご判断頂くために、その審議を問うというのが趣旨の企画です。

 

来季も是非サガン鳥栖のCROを続けたい想いは変わらずあります。

しかし続けるにあたって、このCROというプロジェクトは

自走できる仕組みとしてより進化をしていきたいと思っています。

 

自走するということは、CROという活動が皆様に闘争心と勇気をもたらし、

その対価として活動資金の一部をサポーターの皆様から頂戴し、

それをエンジンにさらに進化していきたいという意味です。

残りシーズンも全力で。CROも戦いたいと思っています。

どうぞご支援のほど宜しくお願い致します。

 

最後に一言。

 

サガン鳥栖が大好きです!

 

DOTAMA

 

dotamatica.com

 「こんな言わされてる感満載の声明あるかよ」と思いましたし、企画の主体を「私DOTAMA」等ではなく「CROというプロジェクト」にしているところに広告・広報の影を感じて気の毒になりました。

 しかし、この後の顛末はさらにひどい。

 1717個売り切ることは出来なかったサガン鳥栖とDOTAMAの結論は、「DOTAMAとサガン鳥栖運営で売れ残り分を買い取り、DOTAMAを続投させる」というものでした。詳細は下のDOTAMAのブログに。

dotamatica.com

   普通テーマソングを依頼してたアーティストがこんな提案したら、運営から断るでしょ。本当にDOTAMAから提案した話なんでしょうか……。

 それにしても、DOTAMAが気の毒なほど新自由主義的な搾取を受けていて、なんだか笑えません。

 上に書いたように、私は初期のDOTAMAをルサンチマンの人だと思っていました。いわゆるアングラ要素のない彼は、「本物になれないという痛み」「搾取される痛み」を歌うことで評価を得てきました。そんな彼だからこそ「働き方改革」の能天気な歌詞には否定的にならざるを得ない。この歌詞は、彼やリスナーを苦しめてきた新自由主義的な労働を、逆説的に肯定してしまうからです。

 私はDOTAMAが「搾取する側に立つタイプ」だとは思っていません。しかし、搾取される側にもかかわらず、新自由主義的な考え方をしてしまうことはあり、格差社会の急激な拡大は、こうした考えが広く蔓延していることにあるでしょう。

 彼が「搾取されることの怒り」を歌う側から、「『みんな搾取されているし、精一杯やろう』というねじれた鼓舞」を歌う側になったのは、おそらく本人が売れたことと関わりがあるでしょう。DOTAMAは自らの労働=音楽活動を肯定できたからです。

 しかし、MCバトルブームも落ち着いてきた今、各MCへの注目はずいぶん落ちています。おそらくDOTAMAも、ブームのピークに浮上できなかったことに対する葛藤があるでしょう。

 その先が、こうした極めて新自由主義的な宣伝に利用されることであるというのは、あまりに悲惨です。私個人は決してDOTAMAのことが嫌いなわけではありません。ですが、あまりに「私たち庶民」の悲惨な日常の写し絵として機能し過ぎていて、ちょっと見ているとがっかりしてしまうのです……。

 ところで、ヒップホップや地下アイドルは新自由主義的発想に取り込まれやすい構造の文化だと思っています。最近だと呂布カルマが↓の発言で一部リベラルに批判されていました。

 

 

 私は「呂布カルマはさすが発想の幼稚さが一貫している人間だ」と思い、軽蔑を新たにしました。しかし、当時それなりの数のリスナーがこれを支持していたと思います。これはカルチャーの構成員の問題に回収できない、日本社会の新自由主義化の問題ですが、自分が好きな文化がこうした発想を肯定しやすい構造を持つ、ある種の醜悪さの肯定につながりやすい文化であることは都度自覚し、批判しなくてはいけないでしょう。