tofubeatsの「RUN」をやっとちゃんと聴いている。歌詞をしっかり聴きたい人の場合は、ちゃんと聴くのが遅くなる。dodoの新譜もいまだにちゃんと聴いていない。
「RUN」の曲はどれも歌詞の持っている余白が広い。
音楽が終わってしまった
余韻だけがある
友達も帰ってしまった
自分だけがいる
自分だけがいる
自分だけが
新しい街に住む
ふたりは出会った
目新しいものは
なんにも無い世界で
新しい街に住む
ふたりは出会った
なんにもしないで
ただ 見つめ合う
音楽として聴いているあいだはこの修辞の乏しさに気が付かないのだけど、文字で見るとあまりに言葉に頼っていなくて、びっくりする。
それなのに、いや、だからこそなのか。曲を聴いて頭に浮かぶ風景は不思議なほど鮮明だ。「こんな言葉の使い方が出来れば」と思いながら聴いているが、音楽があるからこそ成立する言葉のありようであることもたしかで、同じ言語を使っている人間としてうらやましく思った。