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あざみ野フォト・アニュアル 金川晋吾 「長い間 」@横浜市民ギャラリーあざみ野

 

f:id:hontuma4262:20180314172937j:image失踪癖のある父親と、20数年連絡のなかった叔母という二人の近親者を撮影し続けている金川晋吾の個展。

 

通常、近親者を撮影した写真を作品化するとなると、それが愛情であれ憎しみであれ、撮影者の想いが写真に色濃く反映されるものだと思う。

 

愛情がチャーミングな笑顔の写真を選ばせることもあるだろうし、憎しみが悲嘆の表情や老化の様子の写真を選ばせることもあるだろう。

 

しかし、金川晋吾の作品からはそうしたわかりやすい感情を見出すことができない。父親の写真を撮影した作品群は、どこか言葉の通じない異人を見るようだ。かといって、父の失踪に対する怒りが感じられるわけでもない。

 

写真に写る父親のたたずまいはとても無防備だ。座って撮られた写真も立って撮られた写真も大体力が抜けているし、撮られることによる警戒心も感じられない。

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この距離感をして撮る側と撮られる側の親密さの証拠とすることもできるかもしれない。しかし、それはやはり失踪癖のある父と、そんな父を撮影し続ける子という物語をわかりやすくするものではない。

 

むしろ、親族とはいえそれまで所以がなかったという叔母の目線が物語を感じられるかもしれない。老人ホームで生活する叔母に会いに生き、世話をするのは金川の役目だが、叔母は時折怒りのにじんだような目でカメラを見る。

 

本展示では写真のほかに父や叔母とのやり取りを子細に記録した過去の日記が冊子としてまとめられていて、これが面白かった。

 

感情を単純化しない写真と並行して、言語化された感情がきっちりとまとめられているというのが印象的だったし、失踪者の親族としての苦労や、叔母の持ち物からかつての生活を予想しようとするくだりは下世話な意味で読みごたえがある。しかし、これを読んでも父の失踪の理由や、叔母がそれまで親族の前に姿を現さなかった理由はわからない。

 

親族のことを「わからない存在」として撮影し続ける作者の心中を想像すると、こちらにも少し不安が乗り移るような気持ちになる。そうした情動とは別に、好奇心に突き動かされて撮っている部分もあるのだろうとは思うけれど。

 

追記:2年前に金川作品を観たことがある友人がこの文章を読んで 「蒸発お父さんのかっこよさの種類に現実味を感じるんだよな」と書いていたのですが、実際この作品の面白さって「浮世離れしちゃったお父さんのたたずまいのかっこよさ」にあるんだよなと、改めて思いました。真似しちゃいけないのわかってるけど、惹かれちゃう。金川さん的には「うちの父は困った人だけど、それにしても絵になるなあ」という楽しさもあるのかもしれませんね。

 


あざみ野フォト・アニュアル [横浜市民ギャラリーあざみ野]

金川 晋吾 father

金川 晋吾 father