初めて西島大介の名前を見たのは、大塚英志の定本・物語消費論の挿画兼年表の制作担当としてでした。「できる若者なので、仕事をあげてください」とあとがきで大塚に紹介されていたと思います。
西島大介は間違いなく2000年代を代表するイラストレーターで、当時「気鋭の○○」と呼ばれた人たちの本を飾るアイコンとして、たびたび目にしました。また、2000年代半ばにはマンガ家としても多くの雑誌に登場しており、新しいマンガの担い手として高い期待を寄せられていたと思います。
メルヘンチックなのに上品で、ところどころSF的で、教養もありそうで……。
マンガ単行本も、マンガに強い出版社だけでなく、早川書房や河出書房新社から刊行されるなど、ジャンルを横断する存在でした。
「マンガを読まない人がなんかおしゃれっぽいからと手に取ってしまうマンガ家」だったし、「文芸・人文に興味がない人に親しみを持たせる挿画が描けるイラストレーター」だったわけです。
ただ、彼のマンガの予告編が延々と繰り返されるような構成が私は理解できなくて、マンガ家としてはあまりいい印象を持っていませんでした。
イラストレーターが描くおしゃれで観念的なマンガというのがマンガ界には定期的に登場しますが、たいがいそのまま消えていきます。西島もそのうちの一人になるのかと思っていました。
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2000年代が終わり、ゼロ年代のアイコンだったことが古さの象徴となった今、改めて個展会場で観る西島大介の画はただただ作品としてびっくりとするくらいよかったです。
大型の油彩作品の丸みのある線の心地よさと、優しげな薄いクリーム色。そして、どこか不安を感じさせる目の点。
さびしさや空虚さを抱えつつ、みんなのうたのアニメーションになってもおかしくない懐かしさもある。そして、ずっと眺めていられる穏やかさがありました。
会場にはディエンビエンフーの原稿も展示されていました。西島のマンガは凹村戦争の表紙に代表されるような、口を少しだけ何か言いたげにあけたキャラクターか、ニヤッと舌を出して笑うキャラクターの印象が強くて、それはつまり弱弱しいか記号的かのどちらかしかない印象だったのですが、展示されている原稿には悔しさと悲しさで号泣しているらしいキャラクターもいて、内容が気になりました。
原画を見て読んでみたいと思うことって実はあまりないのですが(キャプションも込みならわりとある)、今回は改めて西島大介のマンガを読んでみたいと思える展示だったし、そう思わせてくれたことに感謝です。
ゼロ年代と呼ばれた、個人的にもあまりいい思い出のない時代が終わった後、その代表的アイコンであった人が打ち切りなどに見舞われながらも止まらずに作品を作り続け、変化し続けているということに、感傷的な気分になってしまいました。
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ところで、私が本屋勤めだったころに印象に残っていた西島挿画の新刊があって、それが「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる」でした。
挿画のインパクトはもちろんですが、帯の「たたっ壊せ(ナ~ナナ)たたっ壊せ(ナ~ナナ)」がタイトルと相まってとても不穏で、手には取らなかったもののそのブックデザインは何となく頭に残っていたのでした。
当時は音楽を主体的に聴く習慣がまったくなかったので、磯部涼という名を知るのはその後、日本語ラップを聴き始めてからになるのですが、「川崎」でハードなルポルタージュを書いている人と、あの本の著者が同じ人だと知ったときはちょっと意外なような納得のような気がしたのでした。