ホンのつまみぐい

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神様は大森靖子に憧れた人の数だけいる/ ユリイカ2017年4月号特集「大森靖子」

神様をやるなら断言してしまった方がいい。

みんな自分の生を肯定してほしいし、自分が立っている場所を否定したくない。
だから、「お前はこうだよ」と断言してあげると安心する。「私の言うことを聞いてればOKだよ」と言えばいい。信者を作るにはそれが一番簡単だ。
 
しかし、多くの神やら宗教やらと呼ばれるアーティストと違い、大森靖子は断定を肯定しない。彼女はアルバム「kitixxxgaia」のリリースに向けて、神を引き受ける旨を表明しているのに。
インスタントにどいつもこいつも神だ神だと言われる昨今ですが、しかしどうしようもないとき我々が叫ぶ「神様助けてください!」は「誰でもいいから助けてください!」と同義なので、ダチョウさん方式で最後に私が遠慮がちに手を挙げて神様やらされることになったとて、それでも誰かがこの世に丸くおさまるなら素敵やん、ですよね。
 誰かの生を肯定するのが、あるいは良く生きるための道標を作るのが神様の役目だとしたら、本来は神様は人の数だけ必要だ。だから、神様を引き受けながら、それがそれぞれのうちにあるものだと表明する。
神というのを作り出せるのは人間しかいないわけですけど、その神というのは人間の思想の剥がれていったところだと思うんですよ。
-「ユリイカ大森靖子特集インタビュー “神様”を作り出す音楽
キチガイアという当初発表から、大人の配慮でkitixxxgaiaという表記になったアルバム名について、大森靖子はこう語る。
それは想像してほしいから、ですね。いろんなものと向き合える言葉が好きなんですよ。わたしの意図はこうです、というのはあまり言いたくなくて。「キチガイア」という言葉が出てきたときに、やっぱりなにかしら考えるじゃないですか。その考えるという作業が削られるのがいやなんです。
-「ユリイカ大森靖子特集インタビュー “神様”を作り出す音楽
大森靖子のファンの中には、彼女の作品にふれて何かを語り始める人、あるいは作り始める人が他のアーティストと比べて圧倒的に多い。本人が直接的にそうするようにアジテーションしたわけでもないのに。神であろうとしながら、考える時間を提供しようとする彼女を観ているうちに、皆が自然と自分自身を探り始めてしまうのかもしれない。
 
ファッションデザイナーの東佳苗による寄稿での言葉を借りるなら、「“世界を変えられる”という根拠のない自己愛を、私たちだって安易に掲げていいんだ。整頓された可愛い自我ではなく、みっともない自己愛が必要だと靖子ちゃんは身を以て教えてくれた気がする」。

自分自身を愛すること。そして、それを表現として表に出していくことの肯定。
 
神様は、大森靖子に憧れた人の数だけいる。
 
特集としては交友録が多すぎて、もう少し批評の形で彼女を立体化する言葉がほしいと思わざるを得なかったけれど。
 
最後の小野島大の「大森靖子クロニクル」は状況の変化に伴う作家としての進化が整理されつつ、現場に立ち会った人らしい生々しい実感も書かれていて面白い。これを最初に読んでから他の論考を読むのがいいのでないかと。
kitixxxgaia

kitixxxgaia