ホンのつまみぐい

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こうの史代×おざわゆき「はだしのゲン」をたのしむ@明治大学 2016/4/16 「この世界の片隅に」「あとかたの街」「凍りの掌 シベリア抑留記」にもふれて

このトークイベントは米沢記念図書館で行われたマンガと戦争展+α内の企画として開催されたものです。「はだしのゲン」というテーマを掲げていますが、まさに「マンガ表現と戦争」と作家がいかに向き合うかが語られる内容になっていました。逆に、「はだしのゲン」の話が広がる前に終了時間が来てしまった感もありますが。

www.meiji.ac.jp

当日のメモから個人的に印象に残った箇所を記載いたします。2016年のイベントの話ですが、今だから有効な箇所もあるかなと。(おざわゆき=お、こうの史代=こ、ヤマダトモコ=ヤ)

 

ーマンガと戦争展+αの展示について

 貝塚ひろしさんの「ゼロ戦行進曲」は続きを読んでみたい。小林よしのりさんの「戦争論」は、戦争マンガとして意識していませんでした。

 今回の展示には入れさせていただきました。こういったテーマ展は考証も含めてお金がかかるし、有名作家の個展の方がうけるけれど、京都国際ミュージアムでの展示を見て、ぜひここでもやりたいと思って。

 戦争マンガを語るとなるとワンパターンになりがちだけど、こういう風に分けることが出来るのかと新鮮でした。これで終わってしまうのはもったいない。

ー印象に残った戦争マンガについて

 幼い頃に読んでいたものには意識せずに何かしら戦争が入っていたから、そういうことが普通だと思っていました。「ガンダム」もそうだし、「気分はもう戦争」もそう。レディコミはまだ夏になると戦争特集をしていて、花村えい子さんが作品を発表しています。フォアミセスは慰安婦の問題も扱っていました。戦争マンガと言われてパッと出てくるのは「紙の砦」。

 「ザ・クレーター」。死んだと思われ、軍神になっていたパイロットが生還した故郷でまた死んでくれと言われる。「これを書かなくては」という手塚さんの気迫を感じました。

 「ザ・クレーター」には強烈な話が多いです。凝縮された本。

 

ザ・クレーター (手塚治虫文庫全集)

ザ・クレーター (手塚治虫文庫全集)

 
手塚治虫「戦争漫画」傑作選〈2〉 (祥伝社新書)

手塚治虫「戦争漫画」傑作選〈2〉 (祥伝社新書)

 

 

ーお互いの作品について

 おざわ先生からこうの先生の作品についてお話しいただきたい。

 「夕凪の街」が大好きで……。映画は病に倒れたところが入っていないのが残念。それまでが平和な雰囲気だったのに、フッと落ち込んだように病気になって死んでしまう。この表現がすごいと思って。

 皆実が倒れたところは編集さんには黒にしてくれと言われましたが、絶対に白にしますと言った。夜だと思えば正しいのだろうけど、黒にしてしまうとあまりにかわいそうで。(友人や親族が代わる代わる見舞いに来る場面のこと)

 暗くなっていく状況なのに白。ふわっと天に昇っていく感じが哀しい。

 「夕凪の街」は最初はジュールに乗る予定だったけれど、担当さんの移動でアクションに。最初は32Pだったのが30Pになったんです。打越さんが皆実をおぶっていく場面があったけれど、あったらあったでいちゃいちゃしすぎだったかも。映画の脚本の方が書いた小説にはこのエピソードも入っています。

 「あとかたの街」を描くときは「この世界の片隅に」を読まないようにしていました。今回対談をするにあたって読ませていただきましたが、やはりそれでよかったと思いました。近い表現が出来なくなってしまう。右手がなくなってしまう場面。読んでいたら描けなかった。

 このマンガは手段を選ばずと言うか、いろいろ選んだというか……。終わりの何回かは毎回画材が違うんです。最終回は何の断りもなく勝手にカラーで描いたから、雑誌では白黒でした。もう少し早くこの演出を思いついていれば、カラーに出来たかもしれないけれど。(最終話は途中から世界が色彩を取り戻したかのようにカラーになる)

 宮本大人×吉村和真トークイベント「僕たちの好きな『戦争マンガ』」では「しあわせの手紙」を書いたのは誰なのかについての考察がありました。吉村さんは真偽をこうのさんに直接聞いたけれど、こうのさんは「それは読者のために取ってある」という反応だったとか。

 別にそんなことないですよ? あれはすずの右手が読者に向かって書いているんです。戦時中に不幸の手紙が流行ったらしいので、それを踏まえて描いています。

 「今此れを讀んだ貴方は死にます」というのは?

 だって、結局死ぬでしょ? みんな。

 

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 

「凍りの掌 シベリア抑留記」「あとかたの街」について

 「凍りの掌」は、つらそうで手を出すのを躊躇していたけれど、あっという間に読んでしまいました。

 つらそうってよく言われます。絶望しかない。

 おざわさんの絵は一見簡単に見えるけれど、やせほそった手の絵ひとつで多くのことを語っています。日本に帰ってきてからの話が印象的でした。シベリアからの帰還兵はアカ扱いされ、抑留者なのに補償がなかったなど。

 アカ扱いされると仕事に就けないから、自分が抑留者であることを言わない人が多かったそうです。父と叔父は兄弟で抑留しましたが、叔父はそのことを言わなかった。家から二人もアカを出したと言われるから。
 戦争が終わったからと言って終わりじゃないというのが伝わりました。

 終戦でいろいろ切り替わったけれど、抑留はなんとなく終わらないままで。父も時間が経過したからこそ、話していいと思ったのかも。

 「凍りの掌」はお父さんの体験で、「あとかたの街」はお母さんの体験。印象に残ったのは、鳥鍋の場面。マンガでお腹が空いたという表現を描くのは難しい。「すきっぱらのブルース」にもデートをすっぽかすシーンがあるけれど、共感できませんでした。でも、「あとかたの街」の鳥鍋を食べる場面には共感しました。これまでの作品で、自分にできることはやったつもりだったけれど、私には出来なかったことが描かれています。

 この連載前にグルメものを描いていたので食べる描写には思い入れがあったのかも。

 この時代のリアルが描かれていますよね。昔の人は親に敬語で話しかける。夫婦も知り合い同士が結婚するわけじゃないからずっと敬語だったり。

 昔の本を読むと子供と大人との距離が遠いんです。不自然だとは思うけれど。

 婦人会では、男のいない家族はバカにされるとか。こういう描写は青年誌では描けなかった。

 当時は、男がいない家は役に立たないという引け目があったとか。

 お父さんだけ紙がもらえたという話。「この世界の片隅に」で、水原に「絵なんか描くな」と言わせるつもりだったけど、読む人減るかなと思って描かなかったんです。

 男の子を産まないと離縁というのもあった。こうした差別や貧困は忘れられがちだけど、実はそういうことも戦争につながっているのかなと。

 主人公のあいちゃんが防空壕に入る場面。次の場面で別の防空壕に切り替えて、空爆で死んでしまう子供たちを描く。一瞬あいちゃんたちが死んだかと思わせる描写がすごい。

 防空壕でみんな死ぬという場面を作りたかったので、苦肉の策でした。

 戦時中は髪型も服装も一緒だから、それを利用して「本当は亡くなったのはこの人だったかもしれない」と思わせているのかと。

 そこまでは考えていませんでした。一応服の柄で書分けてはいるけれど。

 

凍りの掌

凍りの掌

 
あとかたの街(1) (BE・LOVEコミックス)

あとかたの街(1) (BE・LOVEコミックス)

 

 

はだしのゲンについて

 ゲンは少年ジャンプということもあってか明るい。悲惨なマンガとして取り上げられがちだけど、この明るさがあるから楽しく読めるんです。原爆症で髪が抜けるのを見て笑うゲン。悲惨な話ではあるのだけど、このコマがあるから一瞬軽くなる。読みやすさや面白さを意識して描いたのではないでしょうか。

 戦後の話も面白い。恋愛したり、絵で生きようと思って上京しようとする。青春ものになります。

 説明台詞が多いんですよね。「よく寝たわい」とか「サイフを盗まれたわい」とか。

 重い原爆症の夏江さんが死期を悟って作った骨壷を、ゲンが割ってしまうシーンが……。

 気持ちはわかるけれど、割らなくてもいいのにね。夏江さんが必死で作ったのに。女性として生きづらくなっていた夏江さんをはげますために割るんだけど、彼女は骨壷を作り直すこともできずに亡くなってしまう。

 ゲンがはげましたい存在としての女の人なので、女の人は弱いんですよね。ゲンは一直線過ぎて、「それは間違いだろう」という行動がたくさんある。

 読み進めると、次はゲンがどう間違えるかが楽しみになってしまう。彼が物事を素直に受け取って、間違った行動をするのが面白さになってる。

 でも、私たちはものを壊すことはよしとしないけれど、ゲンが相手に優しくしようと思っているのはわかるんですよね。

 今は危ういことを書くと自粛と言われがちだけど、こういう危ないことをする子につっこみながら読む方がいいのかもしれないですね。

はだしのゲンは実は1巻が一番怖い。人間関係の不自由さがヒリヒリした感じで描かれている。爆弾が落ちてくることが怖いとなりがちだけど、人間関係の怖さが戦争物にはかかせない。いつまで続くかわからないご近所のいじめの恐怖。ストレスがたまると人はこうやって排除するのだろうなと。

 みんなお腹が空いているし、すごくイライラするのだと思います。人間性がむきだしになっていがみあいになってしまう。でも、同じ状況に置かれたら自分もやるかわからない。

 戦争のそういう側面って大切なんだけど、マンガではあまり描かれていない。夏江姉ちゃんが桃を食べる場面が強烈で、原爆の日になると桃をお供えしています。
-好きな場面について

 ミツコさんの場面。ゲンはちょっと見ただけの女の子に恋をして、地面にずっと彼女の名前を書いてしまうんですよね。こういうマンガらしい描写がいい。

 ミツコさんをデートに連れて行って、絵を描くところも泣けます。「はだしのゲン」は私にとって自分のふるさとが描かれた地域マンガ。「ゲンのように生きていこう」と思える広島の宝です。

 読み返すとすごく読みやすい。素直に面白いと思える作品。テーマばかりが話題にされるけれど、それを届けるための面白さがすごいんです。

 奇跡のような……。これだけの経験をされた方が、これだけの才能を持ってこれを描かれたことがうれしい。 

はだしのゲン 1

はだしのゲン 1

 

 

-質疑応答

ー「この世界の片隅に」では、横書きの文章を左から右で読むように書いている。これは現代の読み方だけど、作中で使われる字そのものは旧字で書かれている。こうした現実とマンガとの間のリアリティーのバランスはどう意識されているか。

 マンガに描くのが難しい部分というのはあります。たとえばお腹が空くとか。おざわ先生はちゃんと描いてらしたけれど。強いてあげれば昭和14年の辞書を編集さんに買ってもらって、それを普段から引いて、そこに出てくる言葉を使っていました。

-(わだつみのこえ記念館で働いている方から)館長が人が来てくれないと悩んでいる。堅苦しいテーマだと言われがちだと思うが、どのようなモチベーションで描いていたのか。

 両親のことなので。父の話を聞いたときに「これは面白い。作品になるのでは」と思いました。ただ、描くにはあたっては世代差があるので、当然理解の及ばないところも多い。自分の中にある感覚を使って描いていました。

 描くのはつらかったけれど、義務感みたいなものがあったので。戦後マンガの伝統として、手塚治虫の頃から描かれてきたことだから、それを我々も受け継がなくてはいけないと思って。だから、皆さんにも描いてほしい。けっこう人生観が変わりますよ。

 おふたりは今の読者に伝わる形で戦争を描いています。戦後71年(イベント当時)、歴史が消失しようとしている時期に、何を書こうとしているのかを受け継いで体験してほしいですね。

-2016年4月16日 明治大学リバティータワーにて

 

映画「この世界の片隅に」に火がつき始めた頃に、「はだしのゲン火垂るの墓みたいな押しつけがましい話を見るよりこっち!」という言説が流行っていました。ほかならぬこうの史代が「はだしのゲン」への敬意を口にし、戦争を描くという課題を先人から受け継がれてきたものとして語っていたにも関わらず。

 

片渕須直にしても、高畑勲への影響を直接的に語っていて、その延長線上に映画「この世界の片隅に」があるにも関わらず、そうした短絡的な語りを自己肯定をするがごとく語ってしまう。こうしたことこそ、まさしく過去や歴史に対する関心のなさの現れだと思います。


ほんとは映画がブレイクした頃にこれ出せればよかったんですが、ちょっと遅かったですね。マンガと戦争展自体がとても面白かったのですが、当時は変に気負ってしまって感想が書けなかった……。なるべく書くペースを上げて後悔のないようにしたいです。

 

konosekai.jp

【イベント】4/16『こうの史代・おざわゆき:「はだしのゲン」をたのしむ』【アフターレポート】 | マンガ論争Plus

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