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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

受難者としての女子プロレスラーとその輝き「リング・リング・リング」つかこうへい

 読み終えた瞬間は、女子プロレスを描くためにこんなに長与千種を不幸な人にしなくていいと思った。つかこうへいが虐げられた人々の輝きをそういう手法で書く人だとは知っていても。

 

 まず、最初の夫が半身不随になる。その隙を狙って自分を襲ってきた義父をバックドロップで殺してしまう。弁護士の若原の尽力で無罪になり、上京してプロレスを始めた長与は、プロレスに向けられる偏見と差別の目を受けながら闘い続ける。若原との間に子供も生まれるが、その子はチャンピオンベルトをつかみ取るための試合の間に亡くなってしまい……。不幸が滝のように押し寄せる、受難者としての女子プロレスラー

 

 しかし、youtubeにあがっている稽古場の映像で、まさにその「勝手に不幸な人にされた長与千種」自身が主役を演じているのを見て、その説得力に震えた。ふてぶてしくて、でも、表情に切なさがあって、いろいろなものを飲み込みながら、なお闘い続ける人間の強度。こどもみたいな表情をする人が哀しそうな顔をするところに人は弱い。これはみんな長与のことを好きになっちゃうでしょ。

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 この戯曲では頻繁に(殴る)(蹴る)のト書きが出てくる。30箇所くらいあった。舞台を見るとさらに身体による説得力と、そこから生まれる怒りと哀しみの強度が増すのだろう。歌謡曲の湿度の高さを活かした音響のベタッとした感触も気持ちいい。

 

 「1985年のクラッシュ・ギャルズ」には、つかと長与のことも書いてある。

 

 つかこうへいはまったくの素人である長与千種を主役に立て『リング・リング・リング』を上演することに決めた。題材は女子プロレスである。
「千種、お前の一年を俺に預けろ。俺は、男も女もお互いを認め合い、《いつか公平》な時代がくるといいと思って『つかこうへい』と名乗っているんだよ。風呂で寝てしまい、我が子を溺死させた母親がいる。母乳を与えながらうたた寝して、我が子を窒息死させた母親がいる。そういうヤツは一生上を向いて歩いたりしない。でも俺は、お前たち女子プロレスラーだったら、そういうヤツらにも力を与えることができるような気がするんだよ。女子プロレスってなんだ? 普通若い女はおしゃれをしているのに、お前たちは水着一丁で股ぐらを開いている。チャンピオンベルトといったって、ただのメッキだろ? 俺はいままで女子プロレスを知らなくて、ちょっとだけ見せてもらったけど、あんな若さで、水着一丁で肌をさらしてぶつかっていく姿は、まるで天に向かうひまわりみたいだな」


 在日韓国人二世であるつかこうへいは、韓国からやってきた母親を見ながら生きてきた。「なぜ母親はこんな目に遭うのか」「女性はこんな風に扱われるために生まれてきた訳ではない」と感じ続け、憤り続けてきた。長与千種はつかこうへいを「女性に対して深い共感を持つ方」と心から尊敬している。


 『リング・リング・リング』の稽古が始まって千種は驚愕した。女子プロレスラーがプロモーターの酒の席に呼ばれて酌をする。ひどい時にはお座敷で試合までさせられる。あの人は女子プロレスなど見たことがないはずなのに、なぜこんなことを知っているのか?

 

 そうだった。たとえ裏に何があってもリングやステージは永遠で最高だから、どんな闇も照らす力があるというのが芸能だった。

 

 つかこうへいの芝居が見てみたくなったけど、映像を見る限りその場で思いついた言葉を役者に言わせていく稽古方法なのか。こうしたつかのやり方をふまえて芝居を作る後身の演出家は大変だろう。

 

 そして、さすがに「リング・リング・リング」は再演できないだろう。少女長与千種がもはや存在しないことはもちろんだけど、今やっても「女子プロレスラーはバカだから差別してもいいという偏見を覆す」構造が成立しないと思う。そう考えると、本作が映画として残っているのは幸運なことかもしれない。

リング・リング・リング 女子プロレス純情物語 (角川文庫)

リング・リング・リング 女子プロレス純情物語 (角川文庫)

 

 初演情報すらない白水社版を読んだのだけれど、角川文庫扱いでkindleになっているよう。こっちは解説などあるだろうか?

 

1985年のクラッシュ・ギャルズ (文春文庫)
 

 

1985年のクラッシュ・ギャルズ

1985年のクラッシュ・ギャルズ