ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

「華やかな食物誌」澁澤龍彦

 これに限らないのだけど、「一昔前のエッセイ」の類いはなぜ読むに耐えなくなるのか。

 大幅な価値観の変化があったわけではないと思うのだけど、それがかえっていけないのか。歴史上の人として処理できない苦々しさがある。

 本書で最初に失笑したのは、アウグスティヌス帝の時代にポリオという美食家が、奴隷の肉を穴子に食わせて飼育していたエピソードの部分。文章の〆が「知らずに穴子の料理を食わされてしまった皇帝こそ、いい面の皮であろう」。いや、奴隷かわいそうでしょ。

 普段あまり意識していないけれど、エッセイは価値観と情報を共有するための文章なのだろう。特にこの時代は文化人と一般人という区分けの残る時代。文体からにじみ出る情報強者らしいそぶりが読んでいてキツイ。そうだ、名著と名高く、装幀もとても魅力的な伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」もしんどかったのだ。内容をすっかり忘れてしまうくらい。

 そういえば、北杜夫旧制高校時代に気の弱い教師をいじめて結局辞めさせてしまったことをほがらかに書いていた時も、向田邦子東南アジアでサラリーマンが今夜の売春の話をしているのを聞いて、「おさかんですね」とやりすごした風に書いているのを読んだときもがっかりしたなあ。

 向田の本音はわからないけれど、当時、男性社会で生きていくというのは「そういう瞬間を男に刃向かわないように書く」ことだったのだろうか。率直に言ってさびしい気分になった。今だって窮屈な気分になることは多々あるが、だいぶマシになったとは言えるのかもしれない。

 ただ、そんな風に感じるということは、私の感性も30年後に誰かの失望や失笑の対象になると言うことだ。「ただ歳かさだと言うだけで年下の人間に対して居丈高に振る舞う権利なんてひとつもない」ということを肝に銘じて生きていこうと思う。

 そして、「よく夏の100冊なんかに紹介されているから」といって古いエッセイを中を確かめずに読むのはやめようと固く誓った。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

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どくとるマンボウ青春記

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霊長類ヒト科動物図鑑 (文春文庫)

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