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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

「島はぼくらと」

島はぼくらと

島はぼくらと

 人口3000人に小さな島で暮らす人々を、4人の高校生の目線から描いた長編小説。

 地方を舞台にすると経済的にも心情的にも停滞感や葛藤を抱えた物語になりがちなイメージがあるが、瀬戸内海の架空の島「冴島」は地元の女性を引き入れて新しい会社を興したり、Iターンを受け入れたりと、かなり活気のある島として描かれている。

 著者の辻村さんはインタビューで、停滞し、疲弊していく地域や人ではなく、それでも前を向いて生きていく人々を書きたい旨の発言をしており、それは作品の印象と違わない。

「これまでに『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』で地方都市の閉塞感、『水底フェスタ』で村社会のしがらみを書いてきました。でも、もしも私が故郷や田舎というものを肯定できるものを書くとしたら、どうなるんだろうと思って。肯定的な小説を書くことでこれまでの作品と合わせて三部作のようにしたかった。今までは主人公たちが闘っている小説でしたが、今度は闘わない人たちを書こう、と思いました」

webきらら 著者インタビュー 辻村深月さん「島はぼくらと」

 島をアピールするためにたびたび東京に出てゆく村長や、熱心で根気強い地域活性化デザイナー、地域活性化のために新しく建てられた食品加工会社の女性社長、わけありのシングルマザーなど、著者の現場での根気強い取材を想像させる人物が次々登場する。

 葛藤を抱え、地震の地元を捨ててきた移住者が、いかにして田舎の村になじんでいくか。高校を卒業すると島から出ざるを得ない土地に住む人々が、何に悩み、何を愛しているのか。それぞれの葛藤は面白い。

 一方で、主役であるはずの高校生が大人たちの行動の解説役になっているような印象も受ける。それぞれのエピソードは興味深くはあるものの、ストーリーの引役が不在なため、読み進めるのには時間がかかってしまった。

 個人的に面白かったのは、「島の子どもたちは高校を出ると島から離れてしまう。だから、母達は母子手帳に事細かにこどもたちに贈る言葉を書いていて、手帳はぎっしりと文字で埋め尽くされる」という描写。そして、かつて水泳の銀メダリストだった移住者・蕗子のエピソードだ。

 オリンピックで銀メダルを取った後、シングルマザーになった蕗子は追い回すような世間や地元の人々、そして家族の重圧から逃げて島に来た。彼女の決意の瞬間は、こう描写される。

 ――中近東にある学校が狙撃されて、そこで働いていた日本人女性が亡くなったっていうニュースあったでしょ。最後まで、現地の子どもたちを庇って逃げ遅れたっていう。

 蕗子とはまったく立場が違う女性のニュースだ。新聞には、彼女の恩師だったという60代の女性の投書が載っていた。

 たくさんの悲しみの声が、ニュースで報じられていた。

 地元で行われた彼女の葬儀に、その女性は参列したのだという。女性は、彼女が通っていた中学で教鞭を執っていた。担任ではなかったし、彼女自身も特に印象に残るような生徒ではなかったが、当時、自分はかなり厳しい態度で生徒たちに接していた。

 葬儀の席で、当時の同僚に、何気ない言葉で言われたのだという。「あなたがあんなに厳しい先生でなければ、彼女はその後、こんなことにはならなかったかもしれないね」と。その言葉が突き刺さり、責任を感じているという内容の、それは投書だった。

 蕗子自身には、まったく関係のない事柄のはずだった。

 けれど、これを読んだ時に一番激しく、蕗子の胸はかき乱された。震えた。そして決断したのだ。逃げなければならない、と。

 人が乗っかるのは、栄誉だけではない。人間は、自分の物語を作るためなら、なんにでも意味を見る。

 こういうことを書く人なのだから、作品全体のトーンをもう少し残酷にまとめることも出来たろうに、あえてそうしていないのだなと思った。街興しの現場の話はいろいろな場面で耳にするので、本作のようにうまくいくことばかりではないと思うが、意図的に向日性のある描写を選択しているのだろう。

 装画は五十嵐大介だけど、「ばらかもん」のヨシノサツキのような絵柄の人がマンガ化するとうまくはまりそう。

ばらかもん 1 (ガンガンコミックスONLINE)

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