ホンのつまみぐい

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フィールド・オブ・ドリームス

 アイオワでとうもろこし畑を耕し、妻子を養うレイは、平凡な中年男性。
 ある日、彼は畑の中で「それを作れば彼がやってくる」という声を聞き、畑の一区画を整理して野球場を作り始める。すると、完成した野球場には、かつて八百長疑惑で球界を追放されたシューレスジョー・ジャクソン」が現れた……。

 後悔を抱えている人がたくさん出てくる映画です。

 主人公のレイは、青年期に父と対立し、和解せぬまま死に別れたことを後悔しています。
 とうもろこし畑に現れるジョー・ジャクソンと彼の同胞たちは、死者になった今でも八百長疑惑により球界を追放された悲しみを背負っています。
 隠遁していた作家も、野球選手として活躍できずに医者になった老人も登場します。
 彼らは皆、とうもろこし畑に出来た野球場を通して、過去に置いてきたはずの「こうありたかった自分」を見つけてゆきます。

 私はこの映画を見て、赤木かん子さんが著書で紹介していた「ジェインのもうふ」を思い出しました。

ジェインのもうふ―アメリカのどうわ

ジェインのもうふ―アメリカのどうわ

 「ジェインのもうふ」は、アーサー・ミラーの書いた子供向けの絵本で、大好きなもうふを手放そうとしない小さな女の子が主人公です。
 ジェインはずっともうふと一緒にいますが、少しずつ大きくなってゆくにつれ、もうふを必要としなくなります。
 最後にはぼろぼろになったもうふを子育て中の小鳥の巣にあげて、もうふとお別れします。
 たっぷりもうふにお世話になって、もうもうふを必要としないくらい大きくなったから、自分よりもうふを必要としている小鳥にあげてしまう。
 見事で明るいもうふからの卒業です。

 赤木さんは、著書の中で、この本を読んで泣いたという女性のことを同時に紹介していました。その女性は、小さい頃に大切にしていたぬいぐるみを捨てられたことがあり、本を読んでそのぬいぐるみのことを思い出して泣いたそうです。

 「過去の出来事に対して、“本当はこうしたかったという自分の気持ち”を物語によって知ることで気持ちが解放されることがある」というようなことが、その紹介の締めに書かれていました。なにぶんずいぶん前に読んだ本なので、細かい表現は違っているかもしれませんが、だいたいこんなお話でした。

 フィールド・オブ・ドリームスは、多くのアメリカ人と、かつての男の子達にとっての「ジェインのもうふ」なのでしょう。映画の中には、過去のアメリカと今のアメリカを比較するような描写がたくさん出てきます。ある種、アメリカの精神史的な部分のある映画なのだと想像できます。

 それにしても、オープニングからいきなりレイによる父と自分の過去語りを延々と聞かされ、次はいきなりとうもろこし畑で「それを作れば彼がやって来る」との声を聞くという唐突な展開はトンデモ感たっぷりです。それなのに、なぜか不自然に感じさせない(奥さんの物分りのよさを除けば)不思議な説得力はいったいなんなのでしょうか。演劇的というかなんというか。

 この強引かつ自然なお話作りはもっといろんな映画に取り入れられてほしいなと思います。

 そして、「青年時代と決別して大人になる」がテーマの映画「木更津キャッツアイワールドシリーズ」に、本作のパロディを盛り込んだ宮藤官九郎の挑発的かつ柔軟な姿勢にも感心してしまうのでした。