ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

1年くらいで疲弊している私は、アイドルオタクとしての覚悟も野次馬根性も足りなかったのかもしれない

昨日、「バンドじゃないもん!」と「せのしすたぁ」に新メンバーが2人入ることが発表された。

どちらも生で見たことはなかったけど、ありがちなアイドルらしさではなく、オンリーワンの女の子がアイドルという枠を通して自分表現をしようとする様が魅力的だったし、機会があれば見に行きたいと思っていた。

新しくメンバーが入ることが、グループにとってプラスかマイナスかはわからないのだけど、当然の如く別のものになっていくことは間違いない。その変化を受け入れられるか否かをファンは都度問われていくわけだ。

それでも「バンドじゃないもん!」は幸せな方なのだろう。水玉らむねちゃんの卒業を期に、きちんと卒業公演をした上で新メンバーを迎え入れることが出来た。一方、「せのしすたぁ」はゆうほちゃんが喉の治療に入り、そのままファンの前に姿を現すことなく卒業している。

この1年、卒業公演なんて行えずにある日いきなり脱退が発表されるアイドルや、公演予定を残しているのに、ある日突然「最終公演です」とファンに言わなくてはいけないアイドルの話をたくさん聞いてきた。

ライブアイドルのプロデュースなんてたいてい中小企業なんだから、ある日突然仕事がポシャるとか、不遇をかこつなんて当たり前といえば当たり前なのかもしれない。でも、握手したり、チェキとったり、ツイッターでやり取りできちゃう子たちがある日突然いなくなったり、なんだか理不尽な理由で別のユニットになって四苦八苦しているのを見るのはだいぶしんどい。

そして、新しい面白いことを求めて人がどんどん移動していく様を見るのもなかなかしんどい。

地下よりのアイドルオタクはその時一番熱量があって、発光している面白い現場を求めて移動していくようなところがある。その好奇心の高さが新しいアイドルを見つけ出し、広く外に出していく力になっている。

でも、大概の場合、それは停滞しているアイドル、あるいは音楽性やメンバーが変わって好みに合わなくなったアイドルのことを見限っていなくなっていくことと同義だったりして、新しいアイドルの盛り上がりの裏にはファンに捨てられるアイドルの姿がある。

活動11年目を迎えるNegiccoのKaedeちゃんが、トークイベントで掟ポルシェに「どうしてオタの人って推し変していなくなっちゃうんでしょうね」と問い、目に涙を浮かべたという話も、昨日聞いた。

Negiccoは、新潟のローカルアイドルなので、最近東京や西日本での活動が増えたことによって、追いかけることができなくなり、自然と他のローカルアイドルに流れた新潟のファンもいるだろう。

オタクはお金を払ってパフォーマンスを見ているのだから、より面白い現場を、あるいはより自分の生活にあった現場を選ぶ権利がある。

でも、間近でその変化を見ている女の子たちにとって、当然ながら簡単に割り切れることではないのだろう。

そう考えると、接触(握手会など)に行くのもなんだか気が重くなる。
顔を覚えられた日には、推し続ける覚悟を問われているような気になりそう。

でも、アイドルをどっぷり追いかけていく楽しみも確実にあって、特にBiSに対しては大阪や姫路、宮城まで行くくらい熱心に応援したり、オリコンの順位に一喜一憂したり、ツイッターの書き込みの少なさや不穏さを心配したり、ほかのファンの人と話したりというのは本当に、とても楽しくて、大切な時間だ。

何より、ライブが進化していったり、女の子達が成長していったりを間近で見られる楽しさや感動は代え難いものがある。

脱退や解散の何度も経験しながらもアイドルオタクが応援を続けていくのは、そういう代え難い感動があるからなんだろう。

でも、BiSが解散したあとに、自分がまた新たにそういう物語に乗っていけるかはちょっと自信がない。

オタ卒というにはぬるいオタクだったけど、なんとなく、「アイドルライブ」がいくつかの趣味のうちのひとつに収まるのではないかと思う。

だから、ずっとアイドルを応援している人たちはすごい。いつまでも本気で関わり続けて、アイドルと対峙するのは生半可なことじゃない。

心がタフな人か、器が大きい人か、野次馬根性の強い人間のクズかのどれかで、実際はそれらの要素がゆるやかに混じり合っている。

でも、野次馬根性は新しいものや生命力を貪欲に追い求めていく好奇心とも同義でもある。

私のささやかなオタ卒は、自分の人間としての器の小ささを思い知らされる日なのかもしれない。