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井上ひさし展−21世紀の君たちへ(神奈川近代文学館)

 井上ひさしの作品は高校生の頃に熱心に読んだ。どの作品も対象のことをとても丁寧に調べていて、言葉の中には過剰なまでの情報が詰め込まれていた。しかし、間に挟まる笑いを楽しみながら読んでいくと、闊達に作品の中を動き回っていた人物たちは、多くの場合非業の死を迎え、彼らが所属していた共同体は崩壊してしまう。

 あまりに露悪的な死と崩壊に疲弊してしまい、井上作品を読まなくなった。

 井上ひさしの作品によく見られる「ユートピアを創設を目指した人々が、欲に駆られ自滅してしまう」構造は、映画「ミラノの奇蹟」の影響が大きいという。ユートピアを望む人々を愛しながら、彼らの自壊を熱のこもった醜さで描く井上ひさしの作風は、私には理解しがたかった。そんなに真剣に愛したものを、よくこんなに憎しみを込めて描けるなという意味で。思想を表現するために人物を無残に死なせる作家は珍しくないが、井上ひさしほど、真剣に向き合った対象を真剣に殺す人はあまりいない。 

 三浦しをんが辞書編集の現場を小説化した「舟を編む」には、変質的なまでに辞書の製作に打ち込む編集者たちの姿を「まるで憎んでいるようだ」と表現した下りがある。

 井上ひさし展を見てなんとなくその言葉を思い出した。

 展示の中で印象に残ったのは、母と井上との間を行き来した手紙だ。施設に預けた息子を励ます母の手紙。あるいは、郷里を出て文筆で身を立てようと努力する息子に発破をかける手紙。そして、時に弱音を吐き、時に感謝の言葉を綴る息子から母への手紙。

 作品から受け取る印象から、井上ひさしは母を恨んでいたのではないかと思っていたので、この愛情のこもったやりとりは意外に感じた。これほど丁寧に思いを伝え合っていても、根っこにあったさびしいという気持ちはぬぐいきれなかったのか。

 井上はメモ魔だったらしく、気になる言葉を毎日書き留めたという「書き留め帳」や、原爆の被害者の言葉を延々と書き付けたメモ帳には均等な文字でみっちり言葉が書き付けられている。彼の内面の何かがうかがえたというわけではないけれど、過剰な収拾の跡から、何かをつかみ取ろうとする執着は少し感じ取ることができた。

 あと、どうでもいい話だけど同行の友人の「吉田戦車の『ぷりぷり県』というタイトルの元ネタは『吉里吉里人』じゃないか?」はちょっと検証したいかも。それから、展示自体は井上ひさしに対する解釈がちょっとスタンダード過ぎて物足りなかったことも書いておく。

 「井上ひさし展−21世紀の君たちへ」は神奈川近代文学館で、6月9日まで。

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)吉里吉里人 (中巻) (新潮文庫)吉里吉里人 (下巻) (新潮文庫)