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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

熊本まんが施設めぐりの旅その2 巨人の星原画展-湯前まんが美術館

マンガ 巨人の星

 原画展はカラー原稿の部屋とモノクロ原稿の部屋にわかれていた。カラーは連載時の表紙に使用されたものと、近年スポーツ新聞などに寄稿したもの。それにKCスペシャルのために書き下ろされた各キャラクターのイラスト。モノクロ原稿は第1回の原稿と最終回の原稿に加え、単行本未収録の連載時の扉で構成されていた。

 カラー原稿は緊張感を演出するためか、青をベースに描かれたものが多い。印刷技術の関係で、原色が好まれたのかもしれないが。

 カラーも楽しかったのだけど、原画を見ることの意味をより強く感じさせたのモノクロ原稿だ。 マンガ原稿は単行本収録の際に縮小されるが、原画では引いた線が作者の筆圧そのままだ。

 太くて丸みのある、迷いのない線がのびやかに人物を縁取る。強度と速度のある線。考えてみれば、迷いに迷って一本の線を引くようなタイプの作家では、とても週刊連載をこなせないだろう。速度を鑑賞しているような独特の緊張感がある。

 第1回と最終回の原稿は隣り合わせのショーケースに展示されていた。いかにも少年という感じのころころした飛雄馬と、哀愁を帯びつつ乾いた表情を見せる最終回の飛雄馬が並ぶ。そして「わしらの勝負は終わった!」という一徹の優しそうな表情。そうか、川崎のぼるは一徹を優しい男だと信じていたんだ。

 たしかに、一徹は優しい。近代社会の価値観で計ると彼の子育ては大間違いだけど、彼は彼の物差しで飛雄馬を愛しているのだ。

 マンガ界でほかに一徹に似ているキャラクターは「はみだしっ子」(三原順)のグレアムの父じゃないだろうか。
はみだしっ子 漫画文庫  全6巻 完結セット (白泉社文庫)
 グレアムを杖で殴打しながらピアノ指導をする父。優秀なピアニストだが、家族をまったく顧みずに、暴力をいとわない父にグレアムは反発心を抱く。幼い頃から彼の指導と生き方に反発しているグレアムが7歳の時に家出をするというのが「はみだしっ子」の背景なので、父と共闘する飛雄馬の少年時代とは道程が違うが、似通う部分はある。

 ガンで衰弱した父を送るために、家出をしていたグレアムは、従姉妹のエイダの進めで一度家に帰る。しかし、死を前にして穏やかな心配りを見せるようになった父を、グレアムは許せない。

 ある日、グレアムがピアノを弾いていると、それを聞いた病床の父は立ち上がってボロボロの体で、グレアムに当てつけるようにピアノを弾く。

「違うサーザ!」「こうだ!」

 初読の際はまったく意味がわからなく、大人げなく感じた父の行為だが、今ならわかる。彼には、最後にグレアムに与えられるものがそれしかなかったのだ。そして、おそらく一徹も。彼らはピアノあるいは野球という偏った価値観を通して、心から息子を愛していたのだ。だからこそ哀しくて、より性質が悪い。(でも結局自己愛なのかな?とも思うけど)

 戦いを終えて、左門の結婚式を眺める飛雄馬の表情の横には、鉛筆で書かれた指定が残っている。乾いた孤独に満たされた物語とは対照的に、どこかほっとしたような、高揚したような作り手の温度を、その文字から受け取った。
 
 1時半からのトークショーの前に、美術館入口で会話していた女性3人に話しかけて、しばらく雑談する。

 トークショーの会場は「湯前町農村環境改善センター」。いわゆる講堂。ぼんやり垂れ幕を見ていたが、気持ちが落ち着かないのでうろうろ歩いていると、50代後半と思われる男性と、20代後半と思われる男性が座って話している。

 年輩の男性Oさんは、まさにリアルタイムで巨人の星を読んでいたそうで、連載当時の話をしてくれた。マンガの立ち読みをしていて追い出された話。アニメの第1話が放送後に、父親に「うん、これは見ていい!」と言われた話。

「僕らのマンガ」(2012年に発売された震災復興を目的に作られたアンソロジーで、執筆人は若手からベテランまで多彩)も読んでいるというOさん。
僕らの漫画 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
湯前まんが美術館にもよく訪れているようで、会場に集まった人たちを見て「いやあ、ここにこんなに人が来るの初めてじゃない?」と笑顔で口にしていた。