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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

「ああ、玉杯に花うけて」を青空文庫で読了

マンガ

 なんで佐藤紅録なんか読んでるのって、そりゃあ、かの少年マガジン編集者宮原照夫梶原一騎を「少年マガジンの佐藤紅録になってくれ」ってくどいたっていうあの逸話を聞いたからですよ、はい。

 さて、「ああ、玉杯に花うけて」は、誇り高き貧乏人と、人身卑しからぬ金持ちと、根は純朴なんだけど横暴な権力者と、心根のいやしい金持ちと4名の中学生たちを中心に繰り広げられる青春絵巻である。貧乏人千三は例によって性格の悪い金持ちの手塚や、乱暴者の巌になんども屈辱的な目に遭わされるが、それに負けじと筋の通ったふるまいをしようと懸命になる。

 ぶっちゃけ説教くさいこの物語の面白さは、85年前から変わらぬ人間の心理と85年の間に変わってしまった私たちの価値観が混濁して存在している部分にある。

 千三は、貧しいために学校に通えない。豆腐売りをしながら私塾に通う彼が、ある日手塚に豆腐桶で野球の球を洗わせろと迫られ、結局金に負けてそれを了承する。その屈辱に心がくじけてしまった千三は、どんなに勉強しても金持ちにかなわないと考えるようになり、私塾へ通うのをやめてしまう。

 熱心な生徒だった千三を心配した私塾の先生は、千三を奮い立たせようとする。しかし、その説得の内容が今から見るとちょっと理解しがたい。

「きみの父祖は南朝の忠臣だ、きみの血の中に祖先の血が活きてるはずだ、きみの精神のうちに祖先の魂が残ってるはずだ、君は選ばれたる国民だ、大切な身体だ、日本になくてはならない身体だ、そうは思わんか」

 えっ、そこ? なぜ南朝? 
 理由は簡単で、南朝天皇家を尊重したからである。このくだりの前に、私塾で歴史上の悪人を皆で挙げていくという場面があり、そこでは皇室を侮辱した人物として、足利尊氏源頼朝徳川家康らが悪人として列挙されるのだ。なるほど、第二次大戦前である。このへんがいかにも共感しがたい。

 しかし、この後先生に励まされて活気づいた千三の心の動きはなんとも子どもっぽくていいのだ。千三はよし、境遇に負けずに勉学に励むぞと思って町を歩いて行くのだが、その際に自分がえらくなった時の妄想をするのである。こんな風に。

「やあ向こうから八百屋の半公がきたな、あれも忠臣にしてやるんだ。おれの旗持ちぐらいだ、ああぶりき屋の浅公、あれは母親の財布をごまかして活動にばかりいくが、あれもなにかに使えるから忠臣にしてやる、やあ酒屋のブルドッグ、あれは馬のかわりにならないから使ってやらない」

 こういうところは、おそらく当時の少年も、今の少年も同じように共感できる部分ではないかと思う。そうかと思うと、なぜかやたら活動(映画)が侮辱されていてあんなものを見るやつはろくでなしだと言わんばかりの口調でののしられる。

 活動に対する侮辱には、活動という文化そのものに対する憎しみより、映画館に出入りすると不良になるという正しい青少年の心理を、佐藤がそれなりに察していた部分もあると思う。

 以下は、光一の妹文子が不良少女に連れられて映画を見るくだりだ。

 新ちゃんと文子は暗がりを探って二階の正面に陣取った、写真は一向面白くなかった、がだんだん画面が進行するにつれて最初に醜悪と感じた部分も、弁士の黄色な声もにごった空気もさまでいやでなくなった、そうして家庭や学校では聞かれない野卑な言葉や、放縦な画面に次第次第に興味をもつようになり、おわりには筋書きの進行につれてないたりわらったりするようになった。

 映画館から出た文子は、不良少女が拾った金で映画を見て食事をおごってくれたことを知って後悔する。仲間になれと迫る少女たちを追い払ってくれたのは手塚だったが、それから二人は仲良くなり、芝居ごっこをしたり、手塚のおごりで外食を始めたりする。このへんの文子の描写がまたリアル。

 毎日人のご馳走になってすましているわけにゆかない、文子は母に貰った小遣い銭を残らずだした、二、三日すぎてかの女は貯金箱に手をつけた、それからつぎに本を買うつもりで母をだました。そうしなければ秘密をあばかれるからである。こういう状態をつづけてるうちにかの女はだんだんこの団体の不規則で野卑な生活が好きになった、母の前で行儀をよくしたり、学校の本を復習したりするよりも男の子と遊んで食べたいものを食べているほうがいい。

 うーむ、ありそう。佐藤紅録はこういう少年少女を作中から叱咤する。

 活動写真、飲食店、諸君がいつも誘惑を受けるのはこれである。娯楽には友達が必要である、諸君はこのために活動の友達や飲食の友達ができる。不良気分がここから胚胎する。そのうちに奸知あるもの、良心にとぼしきものはこの娯楽を得るために盗賊を働く、ひとりでは心細いから相棒を作る、弱いものを脅迫して金品をまきあげる、他の子女を誘惑して同類にひっこむ、一度この泥田に足をつっこむともう身動きができなくなる。

 よくわかってるじゃん! あんた絶対不良だっただろ!

 こういう人間そのものをいきいきと書いている部分と、やたら説教くさい古い価値観が混在している。変わらない内面を持つ人間たちが、しかし一部大きく違う価値観で生きている姿がとても不思議で、その興味から勧善懲悪のオチに対する不満も感じさせずにスルスル読んでしまった。一方で、貧しさに苦しめられながらも誠実に努力する千三の姿はやはり輝かしく写り、素直に応援しながら読めてしまった。小川未明浜田広介新美南吉なんかに比べると、子どもたちにとって圧倒的に面白かったであろうというのはよくわかる。浜田広介は対象年齢が違うけれど…。

 ところで、「梶原一騎作品ではデブは幸せになる」ってジンクスに対して、“あれは梶原がデブだから、デブをつい幸せにしちゃう”っていう『マンガ地獄変』の解釈がほぼ常識となっているけど、これを読むと昔から「乱暴者は実は内面が純朴」っていうパターンがあったから、それを継いだ可能性もあるのかもしれない。左門豊作はともかく、伴宙太や座王権太に梶原一騎が自分を重ねていたとは考えにくいんだよな…。

マンガ地獄変

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