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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

「近藤日出造と子供漫画批判」米沢嘉博記念図書館

マンガ

4月28日16:00〜18:00
タイトル:近藤日出造と子供漫画批判
講師:富澤達三(神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員、歴史民俗資料学博士)


近藤日出造のことも、大人漫画のこともまったく知らない状態で聴講。

いわゆる手塚の潮流の前に、浮世絵ミームを継ぐ大人漫画の流れがあったことをインプットできた。
福沢諭吉が、大衆啓蒙のために北沢楽天を見出したことなど知らないことばかりの内容だった。

講義で印象的だったのが、近藤が発表媒体である読売新聞の意向に沿わないものは書かなかったという話だ。具体的には、反安保、原発推進に沿うような作風だったらしい。
ありそうな話…というよりは、新聞や雑誌などにのる作品であるからにはそういう制約に沿わざるを得ないはずなのに、自分がそのことを普段まったく意識していなかったということに驚いた。しかし、そうであればいわゆる新聞の一コマ漫画は風刺漫画としてのアイデンティティを保つことができていないんじゃないだろうか。思い返すのは朝日新聞でワンマンマンというナベツネギャグをかましたいしいひさいちのことだ。
この人くらいどこに行っても自分の目線を崩さないのに、作家本人が前に出てこない人も珍しい。ワンマンマンに関しては朝日らしいといえばらしいのかもしれないが。

ところで、私にとって長く大人漫画はダサい存在だった。サルまんにも大人漫画は「ピクトグラムに名前を書いて、政治っぽいことをいわせれば一コマ漫画になる」程度の扱いで、目指すべきものという感じではない。ほかに大人漫画への言及は、椎名誠の『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』内でのフジ三太郎批判に端を発した新聞漫画話くらいしか見たことがない。日本は劇画表現の進化から青年化を経てマンガの表現領域が広がったために、大人漫画がその意義をなくしてしまったのかもしれない。
レジュメの最後には、「大人漫画表現は枯れつつある状態であり、有望な新人も現れていない」と書かれている。

近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

近藤日出造の世界 (1984年) (青蛙選書〈66〉)

もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 (角川文庫)

もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 (角川文庫)

ところで味噌蔵って黒沢清でドラマ化してたんですね。見てみたい。