最近ツイッター有志の児童書の読書会に行っています。
主催は@ko_ffeeさん、@yasumisuさん、@yamada_5さん。
レジュメをきっちり切ってくるようなまじめなメンズの中でぼんやり聴講している私ですが、あまり普段自分から読まないような本ばかり課題に挙がるし、読書家たちの話を聞くのはとても楽しいです。
読書会もう3回目ですが、これまでの課題本、
1回目が『星の砦』
- 作者: 芝田勝茂,バラマツヒトミ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/16
- メディア: 新書
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- 作者: 令丈ヒロ子,宮尾和孝
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/07/27
- メディア: 単行本
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- 作者: 古田足日
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1979/01
- メディア: 文庫
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いやあ、渋いセレクト……。
全部イデオロギー色の強い本だったので、そのイデオロギーの正しさや、プロパガンダの手際についての話になりがちで物語そのものの抱えている力についてあまり話せていないのが残念と言えば残念。
この中では『パンプキン!』が面白かったです。
大阪に住む小学五年生の女の子ヒロカが、都会から来た従兄弟がかつて自分の町に落ちてきたという“模擬原爆”について調べているのを見るところから始まります。それをきっかけに、かつて自分の町に起こったことを調べはじめたヒロカの様子を描いた、調べ学習テキストと小説の中間のような、ちょっと変わった趣向の作品です。
模擬原爆については、私もこの本で知りました。実は広島・長崎での原爆投下以前に、原爆投下練習用の爆弾が各地に落とされていて、形状からそれをパンプキン爆弾と呼んだのだそうです。大阪という原爆被害から離れた土地を出発点にし、それまで他人事だった原爆、そして戦争について考えさせる手際は非常にうまいなと思いました。
戦争の記憶が遠い昔の他人事であるという前提に、それが実は自分たちの生活の延長線上にあるものだという感覚を、いかに共有(強制でなく)できるかという試みだと思います。登場するおじいさんも、タクミもあんまり積極的にイデオロギッシュなことは言わないんですよね。
模擬原爆に関しては以下の詳細を。
<追記>
以前ツイッターなどに書いたメモが出てきたので追記。
『星の砦』のときの。
昨日は児童文学『星の砦』の読書会でした。面白かったけど、こういう少人数で学究肌の人が多い読書では、具体的に作中から議論したい部分を取り出しておいた方がいいですね。反省。
『星の砦』は管理教育や全体主義批判の話なんですが、強者が敗者に手を差し伸べる構造になっているという指摘が面白かったです。強者は主人公側で、管理教育に反抗するほう。
ざっくり言うと、クラス単位で管理教育に対抗して彼らなりの革命を起こす話なのですが、主人公たちのクラスが「いちゃつきクラス」と呼ばれていることに、@yasumisuさんがえらい反応していたのが印象的でした。『夜の子供たち』にも似た描写がありましたが恋愛の発生は個を自覚する契機なんですね。
ただ、「個を獲得するための話でありながら、あまり個を丁寧に書き込んでない。あくまで集団や共同体の話である」ということが議論になり、そこで議論がとまっちゃったような気がしたのが残念です。
こうへいさんとちょっと話したけど、砦から出ないまま話が終わることについてなど、もっと話せることがあった気もしますね。次回は令丈ヒロ子のパンプキンです。
次の日のメモ↓
すごく唐突に、思い出したのでメモ。「星の砦」を読んでいた際に思い返していたのは「ジャパニーズ・ドリーム」蜂屋誠一:著だ。「星の砦」と同じくこれもイデオロギッシュな話だった。
細かいことは覚えていないのだけど、現代の高校生(中学生だったかな?)の少年が、妖怪のいる過去の日本に飛んでしまい、現代に帰るために妖怪たちと旅をするというような内容だった。
たしか室町くらいの日本に行ったような気がするんだけど、ドラクエみたいな剣を持ったり楯をもったりでいかにも当時中学生だったという著者の感性がそのまんま反映されていて、その率直さも、渡辺浩というアニメーターが描いた挿絵(アニメージュちっく)も好きだった。
しかし、一番印象的だったのは、最後に主人公の少年が西洋から来た効率主義のばけもんみたいなものと戦って、昔話の語り部になるというそのイデオロギーだった。
黒船来る→文化侵食→昔話を愛する心をなくす→人々から心の余裕がなくなるみたいなロジックだったような気がする…。100%記憶で書いているので間違い上等です。
当時小学三、四年生の私はそれを読んで号泣して、「私も世界を守らなくては」的なことを考えておりました。あれがはじめてではないけど、あれは確実に“イデオロギーへの目覚め”だったなと今思うと。
子供にも、恋愛マンガに憧れたりエロマンガを読みたくなったりするのと同じように「イデオロギーを欲する」時期があるのではないか。『星の砦』という政治的な物語が子供たちに高い支持を得ていたという事実と、『ジャパニーズ・ドリーム』という作品の個人的体験を通してそんなことを思ったのでした。
大人になるとそういう子どもの本の政治臭に対して強い警戒心が働くようになって、それだけで忌避感を感じてしまったりするけど、世界が自分の目に見える範囲だけでできているわけではないと気づく年頃になったら、イデオロギーって生きていくために必要になるわなと。櫂みたいなもんで。
リアルタイムでは読まなかったけど、たつみや章もイデオロギッシュで支持率高いし。その思想の内容はとりあえず置くとして、人間にはイデオロギーを必要とする部分があって、それに呼応してああいう児童文学が受け入れられるんじゃないかなと思ったのでした。
そう考えると、児童文学に限らずガキの頃にふれる物語ってやっぱり重要ですね。
『ぬすまれた町』の回のメモ。
ツイッターで知り合った児童文学クラスタがやってる読書会にお邪魔してます。もう3回目なんですが、今回はこれが課題図書でした。『おしいれのぼうけん』、『大きい一年生と小さい二年生』、『宿題引き受け会社』などで有名な古田足日の作品。
大変申し訳ないのですが、人物が入れ替わり立ち代わり登場する割に個性が薄く、お話の筋を追うのが大変でした。おまけにSFが得意ではないので立ち往生。内容は人間を疎外していく社会に対して異議申し立てをするという種のものでした。
途中で登場人物がロボットになってしまうのですが、その際のロボットの挿絵がブリキのおもちゃのようなデザインだったり、町長候補がアメリカのディズニーランドに視察に行き、“おらが町にもディズニーランド作るぞ!”と言い出すところなど、時代を感じる部分に関してはかなり刺激的でした。
『ぬすまれた町』の発表は61年、東京ディズニーランドの開演は83年です。
単行本はすべて絶版なのですが、図書館でなら『古田足日全集13巻』で読むことができます。この全集がけっこうおもしろくて、巻末にエッセイや評論、読者からの手紙なんてのも収録されてます。当時の時代状況が伝わってきて資料として読みごたえがありました。
で、これに『巨人の星』について書いた文章が載ってました。まだ高校野球編の時の文章で、「感動するけど、貧乏な左門が這い上がるための方法がプロ野球選手になることだけというのは、既存の体制を変革させる意思が見えなくてどうこう」との評。
ちなみに古田足日は吉岡道夫の『さいごの番長』を評価していて、その理由は「体制肯定のわくの中で独裁と暴力への意志がいまや明確にあらわれつつある。」からだそう。私は未読ですが、どうやら貧乏人が貧乏な自分を自覚しながら戦う道を選ぶという内容のようです。
昔の児童文学者には物語による体制変革への強い意志があったのですね…。いや、今の作家にないわけではないですが、まだ敗北を知らない時代の物語という感じがしました。