ホンのつまみぐい

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過ぎ行く日常を愛おしむ「34歳無職さん」(いけだたかし)と「美しき町」(高野文子)

堂々としたタイトルは、もともとお絵かき掲示板で描いていた小さなネタをそのままマンガのタイトルとして使ったことに由来するそうだ。


34歳、独身女性(ただし、仕事を止めてから会ってない息子がいるらしい)が働くことをまる一年やめてみようと思い始めたところからはじまる、期限つきのなにも起こらない物語。

ただただ毎日寝て起きて、ごはんを作って買い物して本を読んで暮らす。当然、仕事を探したりもしない。
無職さんの日常に起こることといったら「サンマが安かったけど大根も買わなくちゃだからあまり意味ないのよね」と葛藤したり、ゴミを二回連続で出しそこなったりすることくらいだ。

だけど、彼女の日常はとても優雅だ。雨上がりの午後の空気のやわらかさを満喫し、夕方の空を見上げて見つけた月を、ホリゾントの穴と形容する。片手鍋に吹きこぼれ防止の段差がついているのを見て「たかが片手鍋も 地道に進化 してるんですな」と発見したり。
なにも起こらないのだけど、それがぜいたく。


もし、人間をコップに例えるなら、無職さんの中には今、自分と生活と、小さな不安と平穏しか入っていない。そしてコップはまだいっぱいになってない。

普段の私たちのコップの中は、仕事やら家族やら友人やら家事やらなんやらであふれている。だけど、無職さんのコップの中にはすきまがある。だからいろいろなものが飛び込んで、通り過ぎていく。


第6話には「時刻表にない列車はとりあえず銀河鉄道」というタイトルがついている。
深夜、梨をむいている無職さんの耳を、電車が通過する音が通り過ぎていくという、それだけの話だ。

梨に包丁を入れるシャリ、シャリ、規則的な音と、電灯がジジジ…という音。虫の音。通り過ぎていく電車のゴオオオオという音。それらすべてが、耳を通じて無職さんの体の中を通り過ぎていく。

いけだたかしは、薄いスクリーントーンを重ね貼りし、その上にさらに、けぶるような白を重ねて電灯の光を浮かび上がらせる。どこにでもある町の、どことなくあたたかい夜。


何も起こらず、ただただ時間と空間の中にゆっくり身をゆだねる無職さんのようすは、高野文子の『美しき町』(『棒がいっぽん』に収録)のある場面を思い出させる。60年代、工場地帯のアパートに住む夫婦が、夜中に組合で使うガリ版を刷り終える場面だ。作業を終えて、あたためたミルクとクラッカーを手に、ドアの向こうに浮かび上がる工場を見下ろすふたり。妻のサナエさんは「例えば三十年たったあとで 今の こうしたことを思い出したりするのかしら」と、過ぎ去ってゆくふたりの時間を愛おしむ。

黒と薄いスクリーントーンで塗り分けられた風景の中、電灯の光だけがあたたかく白として浮かび上がる。デザイン性の高い、そのままポスターに使えそうな、こちらも白と黒の美しさが映えるすばらしい夜の画。

大きな事件は何も起こらない、どこにでもある町での美しき日々。通り過ぎていくからこそ、愛おしむことのできる日常。そう、『美しき町』にも『34歳無職さん』にも、「日常」というとらえどころのないものが、とても美しく描かれている。


無職さんは何もしない。だから、無職さんのまわりには何も起こらない。でも、無職さんの日常は豊かで美しい。


コップがいっぱいになって、倒れてしまいそうになったとき、あるいはコップがからっぽに感じられてしまうときに手にとってほしい作品だ。

34歳無職さん 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

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棒がいっぽん (Mag comics)

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