ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

2011年買ってよかったマンガ

あけましておめでとうございます。
これを書いている一時間ほど前に、東日本の一部では震度4の地震が発生。

今年も長い一年になるのかななどと考えたりしました。
今年もよろしくお願いいたします。

年初のあいさつはこのくらいで2011年「買ってよかったマンガ」をだらだらご紹介いたします。
特にランキングはつけません。面白さもなんですが、この作品の話を人にしたいって気分になったものを載せています。


ミラーボール・フラッシング・マジックヤマシタトモコ
 こうしてほしかった自分を知ることで、心が満たされることがあるというようなことを赤木かん子が書いていたと思うのですが、まさに「こうしてほしかった自分」について書いた短編がたくさん載っています。
 いわゆる事件らしい事件はほとんど起こらないのですが、気づきの瞬間について丁寧に描いてあって、うまいなあと思います。登場人物が自分の心情をダラダラと語るだけマンガは、それこそ同人誌でたくさん読めるのですが、それをきちんと「読ませる」技量がヤマシタトモコの個性ですね。ちょっと「河よりも長くゆるやかに」の頃の吉田秋生っぽいかもしれません。


「アンチ恋愛劇場」泥星ルカ
 BLは男性のチャームを描くのにとても長けたジャンルだと思うのですが、泥星ルカ作品はほんとに男の子のバカなところや、きかんきなところをかわいく描いてていいなあと思います。


「はたらけ、ケンタウロス!」えすとえむ
 ケンタウロスと人間の共生する世界が舞台の萌え&ギャグマンガ
 健太郎君という馬具メーカーの新人営業マンの話を中心に、いくつかの短編を加えた構成になっているのですが、健太郎君の純朴な天然さと、面倒見のよい先輩との会話がとてもチャーミングでした。

先輩「やっぱ牧場みたいなトコで生活してんの?」
健太郎「え?何ですか そのイメージ ちゃんと家に住んでますよ… 中には半野生みたいな人もいますけど」

というベタな会話と、えすとえむの描く彫りの深い顔立ちが不思議な笑いをかもし出しています。「equus」というケンタウロスBLも発売されており、そちらはより異種間の交流の切なさが強調されておりました。そっちも面白かったですよ。

「公爵様とわたし」黒川あずさ
 ハーレクインは女性向けのロマンス小説のみを発行しているちょっと特殊な出版社です。ロマンス小説とは、キャリアウーマンが御曹司と恋愛したり、アラブの富豪に見初められたりと、非現実的な飛躍と愛情の獲得を楽しむことに特化したエンタメなので、通常であればほとんど接点のないジャンルでした。しかし、ハーレクインコミックス本誌に連載していたとは思えないほどアクの強いキャラクターばかり登場するこの四コママンガにはゲラゲラ笑わせてもらいました。

 ヨーロッパ某国の公爵家がいき遅れの息子ミューラーの改造計画のために、アメリカ人美人秘書キャサリンを雇うというストーリーラインは、おそらくさほど珍しくないのではと思います。しかし、出てくる人々が欲望に忠実で性格のきっつい連中ばかり。特に、息子が趣味で作った男だけの老人慰問施設に、映画俳優と見間違えるほどのダンディなイケメン老人(もちろん男が)がいて、彼が皆のアイドル化しているという設定。くだらない上に作者の趣味が露骨に反映されていて、すがすがしいものがありました。
 続いていくにつれてキャラクターが愛嬌のある存在になっていったころに、これまた意外なほどハーレクインらしい終わり方をしてくれます。

ZUCCA×ZUCA」1〜2以下続刊 はるな檸檬

 宝塚の広告であふれた半球電車の中吊りを見て、関西人でもないのに帰郷という感覚を味わうとか、風邪で体調不良だったのに、宝塚を見にいったらケロッと治ったとか。何もかもがひとごとではなさ過ぎる。
 オタクの生態マンガはどこか自虐にあふれてしまう傾向にありますが、これは自分たちを楽しませてくれて、生きる力を与えてくれる人たちへの熱烈なラブレターになっています。「あなたたちのおかげで私はこんなに幸せです!」って。
 web連載なので、単行本未収録分はこちらで読めます。

「少年ノート」1〜2以下続刊 鎌谷悠希
 天才であることや純粋であることは、欠落を抱えることと背中合わせです。才能をもてあまして破滅する人間も、純粋さゆえに共同体に参加できずに消えてしまう人間も珍しくありません。純粋さも才能も、望まずに持って背負った“業”といえるかもしれません。
 中学生の混声合唱部に、一人の天才少年を投じることによって物語がはじまる「少年ノート」は、その残酷さにとても自覚的なお話です。
 歌うことが大好きな主人公の由多香は、いっぽうで音に影響されて極端なまでに感情が上下動してしまうという困難を抱えています。自分のよりどころであり、武器でもある歌とともに由多香がどう生きていくのか。今のところ由多香は小さな不安を抱えながらも音楽を通じてまわりの人と交流しています。それが、これから対面するであろう「天使の歌声」を持つ少年ウラジーミルとの出会いによってどう変わっていくのか。とても大きな物語になりそうで、先が楽しみです。
 音楽の表現はかなりストレートで、たとえば由多香が「ひんやり つめたくて 苔で地面が じゅうたんみたいな 森――」「町屋さんの 歌う声って 森の中の 呼ぶ声みたいだよね」と表現すると、町屋が森の中で歌っているイメージ画が見開きで描かれるという具合。でも、この画があまりに美しくて、いつまでも見ていたくなる。その画に説得される形で、きっと彼女の声もいつまでも聴いていたくなるような声なのだろうと想起させるのです。
 カラーの美しさ、一コマ一コマの美しさも出色で、ずっと手元において眺めたくなります。透明感という言葉を、マンガという白と黒で構成された限られた媒体で、これだけ説得力を持って表現できているマンガはなかなかないでしょう。

「かわいそうな真弓さん」西村ツチカ
 各話にミュージカルのような、登場人物が踊りだすような画があって、その不自然さが気持ちよいです。表題作の「かわいそうな真弓さん」は、なぜかどんどん若返ってしまい、孫である青年の前におばとして、姉として、そして妹として現れる老女の話ですが、悲壮感はなくフィナーレのスペクタクルかつアングラなミュージカルシーンが心に残ります。
 いつかものすごいものを描いてくれるのではないかと期待しています。pixiv連載の「地獄…おちそめし野郎ども…」がじわじわくる。

「25時のバカンス」市川春子
 実は物語をきちんと解釈してできていない部分が多すぎるので、物語についてはあれこれ言えないのですが。
 かっこいいコマや、気持ち悪いけど官能的なコマや、やさしくて切ない気持ちになるコマがページをめくるごとに待っているので「してやられた…!」という気分になります。最高に気持ちいいマンガ体験でした。


「竜の学校は山の上」九井諒子
 大きくわけてふたつの世界が描かれております。
 ひとつは、竜の家畜としての有効活用法が大学で検討されていたり、ケンタウロスと結婚できたり、翼の生えた人間が存在していたりするけれど、それ以外は私たちのいる現代と変わらない世界。
 もうひとつは、吟遊詩人が冬の日に訪れてきたり、魔王がいてそれを倒す勇者がいたり、あるいは日本昔話の舞台のような貧しい村と神がいる世界。
 舞台は違えどどれも異能の存在とそれを恐れるふつうの人たちの話ですが、気軽に共生や理解などと言わせないわかりあえなさが漂っていました。「現代神話」は馬人と呼ばれるケンタウロスと、猿人と呼ばれる人間の共生の話なのですが、怠けることを知らず、有能な馬人に猿人が仕事を食われるというヒヤヒヤする内容です。夢を描くための舞台装置で、夢のない話を嫌味なくするというめんどうなことをやっている作品でした。勇者や魔王がいる世界が、いわゆる本格的なファンタジーではなく、RPGを戯画化したものであるのも、舞台装置をチープにする意図があるのかと思われます。
 おそらく下書きからペン入れまですべてPC処理だと思うのですが、その均質な線の生命力のなさがとても作品とあっていて、どこか所在無げな気分にさせてくれます。いわゆるファンタジーでありながら「作品に入り込みたい、のぞいてみたい」という欲望を喚起させないようになっていました。pixivで少し作品が閲覧できます

「寒くなると肩を寄せて」鈴木健也
 帯の“家族を失って以来、心を閉ざしたままの女工。好きな女の子に意地ばかり張ってしまう少年。友達が欲しくてたまらない孤独な少女……。”に笑いました。
 その女工が住む街では、事故で死んだ彼女の家族の死体が混ざった水が飲まれ続けているとか、孤独な少女は家出してきた悪魔だとかしれっと隠した上でとても可愛らしい装丁にしてありますね。
 老人の顔の皺の醜さや、乳房の少し垂れ下がった感じなどがとても生々しくて好きです。エログロにも天然と養殖があると思うのですが、ひさびさにまぎれもない天然を見せてもらっておなかがいっぱいになりました。常にカメラを足下に置いたような見上げ視線で描かれてることにはなんか意味があるのかな…。ほくろがいい位置で見られるからとそんな感じなのか。

「まちあわせ」田中雄一
 しばらく単行本化しないだろうと思って取っておいたのに、どっか行ってしまった…。この方も、最近連載がはじまった庄司創もそうですが、「未来は貧しい」というところから物語がはじまっている点が非常にグッときます。それも、何かカタストロフがあったあとの貧しさではなく、徐々に世界が痩せていったという貧しさ。その中で、希望というばかばかしいほど頼りない感情をいかに描くかという大変な勝負に出ていて、なおかつその勝負に勝っているすばらしい作品です。絵が気持ち悪いが、ヒロインが意外なほどかわいい。

「ぼくらのよあけ」全2巻 今井哲也
 団地を舞台にした近未来SFという、ちょっとひねったジュブナイルとしての個性が話題になっていますが、個人的には「ヤサシイワタシ」を描いていた頃のひぐちアサっぽい画面が惹かれた理由です。
 薄めのトーンを丁寧に張って、影の質感を出す画作りがとても好みでした。影の濃淡は、季節の質感。夏を舞台にしたジュブナイルでありながら、思い出を美化する物語でないところも魅力的でした。

「コラソン」1〜7以下続刊 塀内夏子
 「GIANT KILLING」を今年いまさら読みました。いいマンガでした。選手だけでなく、サポーター、スタッフの皆が共同でサッカーを盛り上げていくという方向性や、戦術のわかりやすさ、話の進みの早さなど。
 試合前の敵チームの様子もとても丁寧に描かれていて、さすが評判になるだけの満足度の高さです。
 で、「GIANT KILLING」と対称的なのが「コラソン」です。
 「コラソン」は、コミュニティーの成長が丁寧に描かれている「GIANT KILLING」と比べると、過剰なまでにグラウンド外での交流を拒否する内容になっています。
 主人公の戌井はかつてJリーグを永久追放されて、ずっと南米の下位リーグでサッカーをしていたといういわくつきの選手です。おおよそチームのため、日本のためにサッカーをやろうなんて気は持ち合わせていません。その代わり、勝利に対する執着心は誰よりも強いという描かれ方をしています。戌井はグラウンド外ではチームメイトとさっぱり交流しませんが、グラウンド内で勝利を引き寄せることにより仲間に認められていきます。
 スポーツ鑑賞の楽しみには「天才に圧倒されたい」という欲望があると思うのですが、それを全面的に肯定した上で、誰のためでもなく勝利のためにサッカーをやる人物を描くというのが「コラソン」における塀内夏子の目標のひとつかと思いました。塀内夏子はサッカーマンガの中で早い段階でチーム男子を描いてきた作家なので、「GIANT KILLING」も塀内の代表作である「オフサイド」や「Jドリーム」の延長線上にあります。その塀内夏子があえてコミュニケーションによるドラマ作りを拒否し、強さにひれ伏すことからはじめるコミュニケーションを描いているのは非常に面白いなと思います。サッカーシーンはさすがのスピード感で、試合展開の巧みさも含めて気持ちよく読ませます。

「ママゴト」1〜以下続刊 松田洋子
 貧しさと幼さのために生まれて間もない子供を死なせてしまったバーのママ映子が、かつてヘルスで出会った友人の子供タイジを預かるうちに情が移ってしまう。タイトルからして今後に切ない展開しか期待できないわけですが。映子がタイジを大切にすることで、自分の人生を大切に思えるようになっていく過程がとてもいじらしい。
 ところで、小黒祐一郎さんが以前、“『ベルサイユのばら』に限らず、あるいは出崎監督作品だけではなく、かつてのアニメ作品には、こういった「いい画」を活かした表現があったように思う。例えば、主人公の顔のアップで、基本は止め絵。口パクだけがくようなカット。しかし、それがたまらなく「いい画」だ。”ということを書かれていたのですが、「ママゴト」も“いい画”に頼ったマンガです。
 たとえば、映子が客から鬼子母神(きしもじん)の話を聞く場面。
 この会話の前に、家から勝手に抜け出したタイジを探して、映子は商店街中走り回っていました。
 それを見た客が「そうじゃな さながら 鬼子母神 じゃったでー」と言って故事を解説してくれる。鬼子母神は人間の子供をさらって食う鬼だったのですが、自分の子供をおシャカ様に隠されて改心し、子供の守り神になります。
 子供を食う鬼という話を最初に聞いた映子は、「うちはオニなんね」と暗い顔をしますが、守り神になったという話を聞いて「へー やるな キシモン」といって笑う。
 ずっとくたびれた表情をしていた映子の顔に、くすぐったいようなうれしさがさっと挿入されています。読者は、そこできゅっと映子のやわらかい部分に触れてしまったような錯覚に陥ります。この場面の映子には、かつて子供を生んだ直後、自分の赤ちゃんのかわいさに思わず涙した少女だったころの映子が透けて見えるのです。「ママゴト」はこういうドキッとさせる“いい画”をあちこちに置いていきます。自分を大人と思えない女性が、おきざりにしてきた感情を発見してしまうというのはとてもしんどいことですが、たとえタイジと別れる時がきても、映子がタイジと出会ったことを肯定できるようなラストにたどり着いてほしいと思います。

「明治失業忍法帖」1〜以下続刊 杉山小弥花
 明治維新が訪れて、望みも正義も雇用主も失ったかつての隠密と、好奇心を隠さずに文明開化の波を受け止めようとする呉服屋の娘とのどたばた恋愛劇。こう書くとありがちなんですが、隠密の清十郎がのんきな顔してかなり酷薄な性格で、うっかりすると少女マンガを逸脱しそうな危うさが漂っています。登場人物がみんな自分たちの社会的立ち位置に自覚的なところも危うい。文字がすごく多くて読むのが大変なのですが、「彼氏彼女の事情」が好きだった人ならおすすめ。

「わたし、公僕でがんばってました」古林海月
 ふだん「人間はひとりひとり違うのだから、その人の所属や生まれで決め付けちゃだめだよネ☆」っていってる人がどうして公務員だけは遠慮なくdisってくるのおおおお!! やっぱり「金は命より重い」のかっ。とりあえず見栄とかよりは重いのか。
 県職員として、芸術文化課に2年、県立大学事務に4年、福祉事務所3年(庶務経理2年、ケースワーカー1年)で働いた著者の9年の体験記です。差別は個人として相手に対峙することで解消されるというので、公務員disってくる人には一度読ませてあげたい。ここに適切にまとまったレビューがあります。
 同僚が阪神大震災の激務で命を縮めたのでは…と思い、それを「殉職」と表現するのは、当事者で「戦友」であった彼女にしか描けなかった表現でしょう。こう書きましたが、共感の強要を感じる部分はなく、あくまで淡々と仕事と、仕事に向き合う人々がかかれます。ちょっと変わったお仕事マンガとして、手にとっていただきたい作品です。

「プロチチ」1〜以下続刊 逢坂みえこ
 アスペルガー症候群のため、会社勤めを続けることが出来なかった徳田が、生まれた子供のために主夫として生活をはじめます。子育てという予測不可能な事態に、アスペルガーの徳田はどう対処するのか?
 弟が発達障害っぽいので、同居者として実用書を読むような気持ちで読みました。そういう意味では「買ったよかった」ナンバーワンかもしれません。これに関してはそのうち別エントリで紹介したいと思います。



「皺」パコ・ロカ
 記憶があいまいになってしまうようになり、老人ホームに入ることになったエミリオ。そこで多くの認知症患者と出会ったエミリオは、偶然自分も認知症であることを知ってしまいます。同室のミゲルに手助けされながらなんとか進行を食い止めようとしますが、エミリオの能力は少しずつ衰えていきます。哀しい話なのですが、エミリオとミゲルの間に芽生える友情に少し救われます。

「星の王子様」サン・テグジュペリ原作 ジョアン・スファール作画 池澤夏樹翻訳
 実はリトルプリンスあまり好きではないのですが、奈良美智ねこぢるの間をとったような王子様のデザインに惚れて購入。サン・テグジュペリであるところの飛行士がたれ目でハゲのおじさんなところも、王子様が好奇心旺盛なおしゃまな子供として読めるところもいいです。



さて、順位はつけないといいましたが、ベストは決まっています。下の3点です。

昭和元禄落語心中」1〜以下続刊 雲田はるこ

「羊の木」1〜以下続刊 山上たつひこ原作 いがらしみきお作画

「ファン・ホーム」アリソン・ベクタル 

 何度かレビューを書こうとしてうまくいかず、四苦八苦しています……。単独でエントリを立てる予定ですが。どれも、あまりマンガを読まない人に向けてマンガってこんなに面白いんだよって自慢したくなるような作品です。
 ほかにも、「I」がよくわからないけどすごく面白くて、「かむろば村より」を買ったらこれまた面白くていがらしみきおにメロメロだったり、掘骨砕三の成人向けがすごく面白くてくたびれたときの慰安だったりしました。「ひみつの犬神コココちゃん」面白くてノスタルジックで変態的でマンガすぎた。あと、雁須磨子のマンガはいつでも「買ってよかった」マンガです。最近絵がちょっと崩れ気味ですが。


番外

巨人の星梶原一騎原作 川崎のぼる作画

 またそれかよってつっこみが飛んできそうですが、面白かったんだからしょうがないじゃないかっ……。てか、メロメロでしたね。
 ツイッターのフォロワーさんに会うと今でも池田さんといえば「巨人の星」の人扱いですからね。
 いやもうほんと飛雄馬かわいくてね、3割くらい古谷徹の声にやられてる部分もあると思うけどね。
 まあ、でもこれくらい読後に印象が変わった作品もなかなかないと言う意味で、非常に貴重な読書体験でもありました。
 だって、「巨人の星」なのにアンチ巨人マンガだし、根性物というからには最後に何がしかの栄光をつかむ話かと思ったら違うし。一徹も飛雄馬も自分のやってることに自覚的だし。
 梶原一騎繊細な人だったんですね。それがびっくりですよ。DVヤクザのくせに!
 しかし、昭和60年代に少年マンガの中で「家族というのは呪いである」というのをテーマに、呪いからの開放を描いた作品があってしかもそれが超メジャースポーツマンガだったということにマンガの底力を感じずにはいられません。
 少女マンガ!
 コミックス一巻分くらいまるまる、主人公の語りが消えて、読者にすら心を閉ざしてしまうとか斬新過ぎるし。昭和元禄のマガジンかっけえです。
 あと、泥臭い画ってよく言われるし、そのとおりなんだけど、最終回のコマ割とか美しいとしか言いようがないですよ。最後まで読んで、これを美しいという気持ちがまったく理解できない人がいるなら「この人マンガ読む力が低いんだなー」くらい言いますね。よく、スポーツ選手がゾーンに入るっていうけど、そういう感じの作画でした。
 もう年なので、登場人物の生き方に心を動かされることはなくなっていたのですが(泣くときなんかも、「ああーセリフうまいなー、演出うまいなー」とかそういう感じ)これはなぜか最終回を読んだときにえっらいショック受けて次の日食事の味がしませんでした。ほんとなんだったのあれ。学術的に問い正したい。
 しかし、いしかわじゅん橋本治高山宏もぜんぜん「巨人の星」読解できてないじゃないですか……。なのに、「古い」とかなんとか捨てるべきコンテンツ扱いしちゃって。「巨人の星」は識者の「わたし語り」に貶められておる……。しかしガチ右翼な人やガチ根性主義の人の話も頭痛がするくらいイライラするしな……。右翼の街宣車が「ゆけゆけ飛雄馬」流すのとかほんとやめてほしいです。すべてのコンテンツは原点を確かめないと話にならないということを自覚したという意味ではよかったのか。