ホンのつまみぐい

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スポーツの少年マンガ史 「巨人の星」から「おおきく振りかぶって」まで〜受講まとめその1「背番号ゼロ」から「巨人の星」まで

 なんでしょう、この俺得講座。
 っていうわけで、朝日カルチャー講座受講してきました。
 
 ツイッターで一度まとめてるんですが、誤記があったり読みづらかったりするのでまとめその1。長いので分割します。ツイッターのまとめはこちら。
http://togetter.com/li/183782

 面白いのは、成長を縦軸にスポーツマンガを語っている点。
 講義は少年マンガを「主人公が成長する物語」として、児童マンガと別個の存在と規定することから始まります。ドラえもんではのび太は連載世界の中では成長せずに同じ失敗を繰り返す。しかし、映画などでは成長を示唆すると。
 つまり、成長モデルさえ存在すれば、掲載誌がゴラク(クロカン)やモーニング(ジャイアントキリング)でも、少年マンガとして規定されます。さらに敗戦により「理想とする大人像」が失われた状態で、戦後のマンガが書かれていたと言うことを指摘。
 
 「巨人の星」から〜と講義のタイトルにありますが、実際は寺田ヒロオの「背番号ゼロ」がいかに戦後民主主義的かについてからはじまります。

戦後民主主義のモデル「背番号ゼロ」
アメリカから来たスポーツとしての野球。戦前の集団主義的な体制ではなく、戦後民主主義のモデルとしてはじまる野球マンガ。背番号ゼロや昭和20〜30年代の野球マンガの舞台は草野球です。監督不在の物語の中で、大人は悪者として描かれます。グラウンドを明け渡さなかったり賭けをしたり。また、野球部というものの封建制(戦前的)も否定されています。

 個性をもった九人がそれぞれ話し合いながら成長してゆくという部分がまさに戦後民主主義であると。父不在、監督不在の物語が多かったのは、実際に父が死んでいる家庭が多かったのもあるのではないか。

・成長の困難さを示した「巨人の星
 さて、「巨人の星」は成長の困難を示したモデルとして紹介されます。父親不在の物語から、父を乗り越えるというドラマの導入。これまでの、「努力していままでできなかったことができるようになって、新しい友達も獲得して、勝利へ」というゆるやかな成長モデルから、父に勝つという垂直的な成長モデルへ。
 しかし、最終回で父に勝ったはずの飛雄馬が大人になれたかというと、そうは見えません。このへんは当時の時勢と絡めて考えると面白そうですね。パターナリズムの喪失がどうとか。読者としては父の価値観から解放されることによって、やっと主体的な成長への道を歩み始めたと捉えたいのですが。
 一方、左門は結婚して幸福な家庭を築くことが示唆されます。勝利以外の成長モデルが実はここで提示されていて、タッチにつながると。物語に恋愛が大きく関わっているという点でも、「巨人の星」は転換点だったそうです。それ以前の物語には存在しなかったドラマ。また、魔球マンガの集大成であり、これ以降は魔球マンガは衰退していきます。この辺は「ベルばら」ともかぶりますね。革新的でありながら、旧世代のお約束を濃縮させていて、それが今日では揶揄の対象にもなると。