ホンのつまみぐい

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あざみ野フォト・アニュアル企画展「とどまってみえるもの」@横浜市民ギャラリーあざみ野

感染拡大中のため娯楽施設にあんまり近寄らないようにしてるけど、「美術館くらいは……」と横浜市民ギャラリーあざみ野へ。

どのような歴史的経緯があって開催されているのかわからないけど、市民ギャラリーあざみ野の写真展はいつもホントいい。 

今回は「とどまってみえるもの」というタイトルで若手七人を紹介。

 

www.youtube.com

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行旅死亡人の紹介記事からモンタージュ写真を作るという木原結花の作品と、家具が倒れ、不穏なトルソーが並ぶミニチュアの家を撮影した新居上実の作品が同じ部屋にあり、なんだか見ているうちに元気がなくなってきた。

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前夜は東北で震度6の地震があったこともあり、憂鬱が体に溜まりまくっているので、作品が抱える閉塞感をそのまま身体の中で増幅させてしまう。作品自体は必ずしも悲観的な動機で作られているわけではないのだが……。

 

コンクリートの壁を緑が彩る古い一軒家を撮ったチバガクの写真に惹かれた。写真に少し加工を施し、絵画的な質感を加えている。

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一瞬写真なのか絵画なのか迷ってしまうこの作品は、脳の中で描く風景と現実の眼に映る風景の中間を写し撮ったように感じられる。どこかにあるはずの風景が、どこにもない、極めて個人的な心の中の風景であるかのように錯覚させられる。懐かしいような、居心地が悪くような気持ちにさせられるような作品だった。

 

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あざみ野フォト・アニュアル 
「とどまってみえるもの」
[出品作家]宇田川直寛、川島崇志、木原結花、チバガク、新居上実、平本成海、吉田志穂
[コ・キュレーター]菅沼比呂志
https://artazamino.jp/event/azamino-p...
展示室1F全面

artazamino.jp

男女共同参画センターのラウンジが予約制になっていた。ゆっくり本を読むつもりだったのでショック! また、ギャラリーの来場者記録はQRコードを読み込んで、かんたんな記名サイトに飛ばし、連絡先を来場者に記入させる方式だった。手書きの紙を管理するのは大変そうだものな……。いざ使おうという時にメアドを打ち込む手間もなくせるし。

10年経っても滅びない痛みについて「女子をこじらせて」雨宮まみ

 この本を評価したり分析したりすることは、雨宮まみという女性の人生を切り刻んでしまうことではないか。そんな風に思えてうまく言葉が出ない。

 雨宮は徹底的に過去の自分を恥じている。そして、その「恥ずかしい自分」の輪郭をわかりやすく掘り出し、形にして見せようとしている。

 雨宮が恥じていたという過去は、「自分は女として相手にされない人間だ」と思い込みながら、それを何とか打開するためにバニーガールとして働いたり、好きでもない人と恋愛ごっこをしたりと、みっともない生き方をしていたことを指す。

 雨宮は自身のこうした葛藤の日々について、「自分の中の他者の視線」を内面化していたことが原因と分析し終えており、それより自分を尊重し、「誰がどう思うかじゃなく、自分が本当にしたいこと」をやるべきだと結論付けている。

 本書を一読すれば、これは男尊女卑社会の中でもがき苦しむ女性が、それによって生じた痛みをつづった本だとすぐにわかるだろう。また、発売から10年を経た今、自身を「こじらせ」などと定義づけることは、むしろ内面を傷つける行為だと多くの人がすぐに気が付けるはずだ。それは雨宮も理解している。

 しかし、理解しているにもかかわらず、収録の久保ミツロウとの対談でも、あとがきでも、雨宮はもがき苦しんでいるのだ。

 2011年12月に発売された本書のあとがきで、雨宮は東日本大震災が起こった時に「ああ、自殺じゃない、やむを得ない形で死ねるかもしれない」と思ったと書いている。

 他者と自分を比べるのをやめたら、新しく自分の欲望と向き合う苦しみも生まれる。正しい考え方ができたことで、多少軽くなったとしても、苦しみという荷物そのものが消えるわけではないのだ。望む姿で生きられない絶望も、社会がかけてくる呪いも、そのままそこに存在するものだ。

 ひどく勝手なことを言えば、雨宮は「望むこと」をやめればもう少し楽に生きられたのではないかと思う。だけど、生きるというのはそんなに簡単に調整できるものではないのだと、私ですら骨身に染みて理解している。

 この本の中で印象的なのは、全体を覆う自虐的なトーンだ。久保との対談で、雨宮は「自虐でキャッキャ言い合って盛り上がるのが楽しいっていうのもある」と話している。大人の女性たちが話しあう時に、そういう言葉使いを選ぶ姿は想像しやすい。

 でも、この感覚はもう古いものとして片付けられている。自虐的な語りでブロガーとして人気を博していた少年アヤは、「おかま」という自称を捨て、自虐を共通言語にして遊ぶことをやめた。彼の当時の変化の過程が記録された『尼のような子』『少年アヤちゃん焦心日記』が出版されたのが2014年。自虐的であることは、このあたりから少しずつカッコ悪いこととされていった記憶がある。

 2017年頃、ラップをやっていた二回り年下の女の子が、「自虐はダサくなった」といい、ほんの半年前に作った曲を封印していったのをよく覚えている。あの頃は「エンパワメント」という言葉が流行っていて、あっこゴリラたちがその言葉を体現しようともがいていた。

 ただ、その「エンパワメント」やそれに類する言葉も、自己啓発的な発想との親和性ゆえか、見かける機会がずいぶん減ったように思う。

 自虐もエンパワメントも女性たちの会話の中では少しずつ姿を消していったように思うけど、雨宮が自虐の中に込めていた苦しみが、世界から消えたわけではない。ドロドロとした哀しさは、誰かに拾い上げられることもなく、ただただ広く沈殿し、滞留しているように感じられる。

 こうしたウェットな哀しさは自分の中にも強く残っていて、この本を読むと雨宮の痛みに共感すると同時に、「いつまでもこんなことで苦しんでいるなんて自分はなんて幼稚な人間なのだろう」という心の声が聞こえてくる。それは自虐でもエンパワメントでも片づけられない感情で、年を取るごとにより強く自分をさいなみ続ける声である。

 まだ、この声から逃れる術について、知ることができていない。

 

女子をこじらせて

女子をこじらせて

 

 

 

尼のような子

尼のような子

 

 

 

焦心日記 (河出文庫)

焦心日記 (河出文庫)

 

 

 

令和GALSの社会学

令和GALSの社会学

 

 

「ノスタル爺」藤子・F・不二雄

※※作品の結末に詳細にふれています※※

 ドラえもんチャンネルが『ノスタル爺』を2月9日~13日まで無料公開している。

  ネットの感想見たらたぶん嫌な気持ちになるだろうと思って、ツイッターの感想を見たら、やっぱりそこはかとなく嫌な気持ちになった。

 

dora-world.com

 

 『ノスタル爺』は太平洋戦争で出征した青年・浦島太吉が、30年以上の時を経て故郷の村の墓を訪ねる場面で始まる。太吉は戦争中に日本に帰る手立てをなくし、出征地のジャングルで30年生活していた。中年になってから訪れた村はダムの底に沈み、幼馴染で婚約者の里子も亡くなった。彼女は太吉を忘れることができず、独身のまま死んだという。墓地まで案内してくれた親族の「せめておまえの子どもでも残っていれば生きる張りもあったろうに…」という言葉を聞きながら、太吉は山道を歩く。

 思い出すのは出征前夜のことだ。太吉は里子に対し、「生きて帰れるとは思えない」と話し、彼女を抱くことを拒む。自分が死んだら別の人に嫁いで幸せになってほしいという思いからだ。葛藤の中で絡まりあう二人。すると、庭の土蔵から声がする。幼いころから家の土蔵に閉じ込めらえている老人が「抱けえっ!!」「抱けえっ!!」と繰り返し叫んでいたのだ。

 取り返しのつかない過去を思いながら山道を歩く太吉。せめてもとダムに沈んだ村の姿を見に足を運ぶと、いつの間にか過去にタイムスリップしてしまう。

 子どもだった里子や自分たちの姿を見て、思わず駆け寄る太吉だが、不審者として捕らえられ、本家の総領である叔父に進退を迫られる。タイムスリップについては信じないものの、太吉を親族であると見なした叔父は、金を渡して太吉を追い出そうとする。しかし、もうこの村を失いたくないと決心した太吉は、家の土蔵に幽閉されながら生きる道を選ぶのだった。つまり、あの日叫んだ老人は太吉自身だったのである。

 里子が孤独な死を迎えることを知っている太吉は、出征前に彼女を抱くことで、子どものいる未来を与えたかったのだろう。

 家父長制に囚われた時代に育ち、戦争で30年の月日を孤独に過ごした彼が、おそらく唯一主体的に選択できた未来が、過去をもう一度やり直すことだった……というのがあまりに強烈である。

 しかし、ネットの感想では太吉の選択を「平和だった過去に戻りたいから」と取る読みが散見された。過去への逃避、まさに「ノスタルジー」という解釈である。どう読むかは自由とはいえ、それは少し意地悪な読みではないか。戦争や制度に何もかもを奪われた人間の哀しみを想像できていないと思う。

 最後のページは、土蔵の中の太吉が幼い頃の自分と里子の会話を聞き、かすかにほほえむ絵で終わる。そのほほえみが、ただ幸せだった過去を反芻しているから浮かんだ笑みではなく、人生を他者に翻弄され続けた彼が、自分で選んだ結果をかみしめているからこそのほほえみだと信じたい。

 

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (1)

藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 (1)

 

 

 

 

なんか

カイジの一条を描いたとても批評的で魂のこもった二次創作を読んでしまったので、私も星飛雄馬星一徹を殺そう(抽象的な意味でよい)とする二次創作とか書きたくなりました。

矢吹丈は死によって神格化されたけど、星飛雄馬は地上に墜落したまま、まごうことなき人間として今も地べたを彷徨っていると思うんだ。

死んで神になってしまったジョーや直人ではなく、神になれず、あげく全てを手放してしまった飛雄馬の哀しみの方が自分ごとのように感じられるよ。

それはまるで、人間の人生についての話のようだから。

1月に読んだ本・マンガ

 

  パンチライン満載の本。最後を「自由とは何か」で〆るのに、岸政彦の思想を感じた。

 

  これに取り掛かる前に↓の本を読んでいたのだけど、それすら難しくて進まなかったので買ってみた一冊。資本主義に対する漠然とした「この状況がこのまま続いてしまうとヤバいのでは?」を考えたい時に一通り頭に入れておきたい概念が書かれている。

 「資本主義を顧みないとヤバい」と人に言うとたいてい、「でも、共産主義はね…」と言われるのだけど、これを最低限頭に入れていると、整理した言語で返せるようになると思う。これで『ナニワ金融道』もばっちりだぜ!!

 

  ↑と並行して読んでやっと理解。大学の授業のサブテキストくらいの難易度だと思う。

 

実話BUNKA超タブー 2020年12月号

実話BUNKA超タブー 2020年12月号

  • 発売日: 2020/11/02
  • メディア: 雑誌
 

   『AVについて女子が知っておくべきすべてのこと』の澁谷さんが吉田豪のインタビューを受けていたので読んでみたが、「AV事務所の反社の割合」についての具体的な話が出てきて、「そうか……」と思った。

 

 

サイゾー 2020年9月号 [雑誌]

サイゾー 2020年9月号 [雑誌]

 

  この号のブックガイドめっちゃ面白かった。↓は目次。大型書店厳しいな……。「サイゾー」面白いと思うんですけどあんまり読んでる人いませんよね。総花的だと思われてるのかな。お世話になってるwezzyもサイゾー媒体なので、何気にフェミニズムも強い。


■休業の大型店と“密"な街の本屋――コロナ禍の出版業界
フェミニズム的にやや古い? 『女帝 小池百合子』が描く女性像
■爆発した黒人の怒りとは――人種差別とBLMの現実を撃つ本
■石戸諭×辻田真佐憲「愛国・保守本マーケットの変遷」??
社会学者・橋爪大三郎が説く民主化しない中国の謎??
■悲惨なだけじゃ子どもに響かない! 戦争の本質に迫った絵本
■世界を動かし中東を変える コロナ後の石油地政学を占う11冊
■精神論ばかりの客寄せチラシ! オンラインサロン文学の意義
■“女性の性"ブームで生まれたAV女優小説の文学的進化論
■まるで雪国の「噂の真相」! 北海道・東北・北陸の政経雑誌

 

  すごくよかった。1篇だけ幻想小説的なしかけをしているものがあり、現実と夢の境があいまいになった世界を味わうことができた。人間には「優等のもの」と「劣等のもの」があり、自分は「劣等のもの」であるという表現があり、これもとてもよく理解できた。下のエントリに書いたようなことも考えた。

 

hontuma4262.hatenablog.com

消えたママ友 (コミックエッセイ)

消えたママ友 (コミックエッセイ)

 

  内容は下世話で、コンビニにおいてあるゴシップマンガっぽさがあるけど、絵が可愛いくて感情のディティールが丁寧なので、すらすら読める。「つながり」だったものが「しがらみ」になってしまう息苦しさがうまく描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

  登場人物みんなパワフルなガチ恋ギャグマンガ。ねとらぼさんにレビュー寄稿してます。記事には書かなかったけど、掲載媒体のゼノンでコメント欄読みながら読むのが楽しい。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

バクちゃん 2 (ビームコミックス)

バクちゃん 2 (ビームコミックス)

 

  もともとよかったものがすごくよくなったのにここで終わりなんですか?? 悲しい!!!

 

カイジのスピンオフ『上京生活録イチジョウ』のBLっぽさを見てつらつら考えたこと

 

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 萩原天晴作の 『カイジ』シリーズスピンオフに対しては「悔しいけど面白い。でも、悪の戯画化はローゼン閣下的な危うさあるよな」と思ってあまりチェックしてなかった。だって、今の世の中って「帝愛は確かに人殺しだけど、その何倍もの人間を雇用しているからセーフ」とか屁理屈いう人いそうだし。利根川たちが魅力的なキャラクターであることは疑いようがないし、同人誌とかなら全然いいんだけど、ちょっと手放しでは褒められない気持ちがある。

 そんな中、先日コンビニで偶然一条が表紙に描かれたモーニングを見つけ手に取ったら、高校を出たばかりの一条が村上と同居するスピンオフ『上京生活録イチジョウ』が始まっていてびっくりした。まだ何ものでもない頃の一条の生活を書く話のようだ。

 これ同人誌出ちゃうやつでは。というか、この組み合わせで活動していた人にはやばいやつでは……。慌てて帰宅して、久々に本気のpixiv巡り。ブックマークを振り返ったら、前回の本気のpixivもカイジのアニメ2期の頃で、人間性に変化がない。(久々の二次創作チェック楽しかったです)

 で、このスピンオフ、2話目は「野望をもって上京したはずなのにソシャゲにハマって時間を無駄にしてしまい落ち込む一条に村上がちょっとしたおやつを作ってあげる」という話で、ほぼほぼBL同人誌みたいな展開に仰天した。というか、二次創作の方がまだ二人の関係に距離があるような……。

 『カイジ』のスピンオフは「担当編集と作者によるあるある話」が素材となることが多いと聞いた。BLを狙ったというより、過去の未熟な自分を思い返したおじさんたちが、「この頃こうだったね」というのをマンガにした結果ではないかと推察。「夫婦か」と思うくらいの距離感で一条をケアする村上にはびっくりしたけど、そういえば『一日外出録ハンチョウ』にせよ『中間管理録トネガワ』にせよ、男同士がお互いをケアする話が少なくなかった。

 カイジ世界の悪役は「資本主義社会の中で頂点を取るために悪の道を選び取る奴ら」って感じだったけど、連載から25年経ってスピンオフの世界では「資本主義社会で四苦八苦しながらお互いをケアしあって生きる男たち」が描かれる。たしかに闇金が悪の帝王って今となってはあまり重みがないし、昨今は反社会的組織ですらコツコツ働かないといけない時代。この世界観の変化よ……。

 そして今はハイパーデフレ社会。服や食事がこんなに安いのは、誰かの労働を搾取しているからだ。資本主義社会の中では、私たちの誰もがお互いを搾取しているし、デフレ状態ではそれをことさら強く自覚せざるを得ない。

 こんな世の中で、「悪」っていったい何なんだ。金融資本主義における投資家か、富の再分配を拒む政治家か?

 そう考えると、『カイジ』本編の停滞の一因は、社会が「悪」の姿を見失ったことによるのかもしれない。停滞しきっている『カイジ』だけど、福本伸行にはここでぜひ、新しく倒すべき敵を設定して、カイジをヒーローに戻してほしい。カイジにはヒーローでいてほしいよ。

 だけど、福本作品は本質的には「権力と戦う」とか「資本主義と戦う」とかより、「どう選び、どう生き抜くか」がテーマだし、難しいのかもしれないな。

 そもそもギャンブルで戦うという設定自体が、「無力な個人でもルールの定まったゲームの中であれば知恵で巨悪と戦える」という極めて素朴な世界観に支えられている。しかし、現実ではそもそも巨悪はゲームの卓に乗らないのだ。

 この世界観を何らかの形で見直さない限り、カイジが「今」の物語として輝くことは難しいのではないか。

 彼の作品にたびたび登場する「孤立せよ」という叫びは美しく本質的で、人間の魂を救うものだ。しかし、自身の内面の戦いに勝利したからといって、外側にある「悪」が消滅するわけではない。

 福本作品から受けた影響はとても大きく、『賭博黙示録カイジ』は中でもことさら大事な作品なので、今からでも実のある終わり方をしてほしいのだけど……。

追記:トネガワ読み切ったので、↓に感想を書いた。読みきる前に懸念していた点が顕在化していると思う。

hontuma4262.hatenablog.com

 

 

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 それにしてもこのインタビューの「僕がヤンマガに異動になった際、少年誌の作家さんしかつながりがなく、青年誌ですぐに仕事になるかわからなかったので、企画を立てようと。スピンオフなら何ができるかなと思ったら、ヤンマガなら「彼岸島」か「カイジ」ではないかと。」は驚いた。

 スピンオフってそのくらいのノリで決まるのか~~。エンタメの世界にはそのくらいの気軽さで動いていてほしいという気持ちと、スピンオフは原典が好きな人にとってとても複雑な立ち位置なのだから、慎重に生み出されていてほしいという気持ちが半々……。

 

 

 

賭博黙示録 カイジ 1

賭博黙示録 カイジ 1